『大日本史料』 12編 30 元和四年是歳~元和五年六月 p.768

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

はなし、然るを身代滅亡被仰付事如何こ存候哉と被仰出られは、何〓目, 各御老中を御召被成被仰出き、福嶋か身代を取つふし候へと權現樣上, とめときつと見合給ふ時、本多佐渡守殿謹而言上被申上は、上意の〓く、, 權現樣無用のよし右五人衆を御なため、治部少方へは三河守樣に本多, 左京大夫、加藤左馬介、已上五人也、此時左衞門大夫一番に參る、然れとや, 左衞門大夫儀御當家へ對し奉り第一の忠信き、石田治部少輔御當家を, 亡し奉らんと計る、然處に一年、石田澤山へ歸城の時分、道にて石田を討, 書至ルニ云ク、城ヲ使節ニ與フベシト、此ニ於テ、是非ナク城ヲ開キ與ヘリ、, を御添、路次用心被仕候へと御内意にて、治部を澤山まて御送らせ被成, 可申とて、權現樣へ被參衆、福嶋左衞門大夫、加藤主計頭、黒田甲斐守、淺野, 候、また關ケ原のとをも、黒田甲斐守通路にて、左衞門大夫居城を明け、權, 意なりしか、倩左衞門大夫義を思ひ考るに、當家へ對し忠はぬつく不忠, 現樣御本陣と御定被成、右忠信によつて、備後、安藝兩國を被下候、其後秀, 頼公二條へ渡御のとを、秀頼公頼被思召は、一番左衞門大夫、二番主計頭, 〔道齋記〕五一本多加信物語に、福嶋左衞門大夫殿身代滅亡の時、相國樣, 本多正純, 正則處罰, 正則ノ處, ノ遺命ナ, リトノ説, 罰ハ家康, 主張ス, ノコトヲ, 元和五年六月二日, 七六八

頭注

  • 本多正純
  • 正則處罰
  • 正則ノ處
  • ノ遺命ナ
  • リトノ説
  • 罰ハ家康
  • 主張ス
  • ノコトヲ

  • 元和五年六月二日

ノンブル

  • 七六八

注記 (25)

  • 1317,719,63,2129はなし、然るを身代滅亡被仰付事如何こ存候哉と被仰出られは、何〓目
  • 1547,705,65,2138各御老中を御召被成被仰出き、福嶋か身代を取つふし候へと權現樣上
  • 1203,721,63,2143とめときつと見合給ふ時、本多佐渡守殿謹而言上被申上は、上意の〓く、
  • 619,718,66,2133權現樣無用のよし右五人衆を御なため、治部少方へは三河守樣に本多
  • 742,717,65,2134左京大夫、加藤左馬介、已上五人也、此時左衞門大夫一番に參る、然れとや
  • 1087,718,65,2133左衞門大夫儀御當家へ對し奉り第一の忠信き、石田治部少輔御當家を
  • 972,720,65,2131亡し奉らんと計る、然處に一年、石田澤山へ歸城の時分、道にて石田を討
  • 1777,640,62,2221書至ルニ云ク、城ヲ使節ニ與フベシト、此ニ於テ、是非ナク城ヲ開キ與ヘリ、
  • 505,720,66,2133を御添、路次用心被仕候へと御内意にて、治部を澤山まて御送らせ被成
  • 858,721,63,2130可申とて、權現樣へ被參衆、福嶋左衞門大夫、加藤主計頭、黒田甲斐守、淺野
  • 393,717,62,2141候、また關ケ原のとをも、黒田甲斐守通路にて、左衞門大夫居城を明け、權
  • 1432,714,61,2138意なりしか、倩左衞門大夫義を思ひ考るに、當家へ對し忠はぬつく不忠
  • 277,723,65,2132現樣御本陣と御定被成、右忠信によつて、備後、安藝兩國を被下候、其後秀
  • 163,727,66,2132頼公二條へ渡御のとを、秀頼公頼被思召は、一番左衞門大夫、二番主計頭
  • 1643,597,97,2253〔道齋記〕五一本多加信物語に、福嶋左衞門大夫殿身代滅亡の時、相國樣
  • 1243,291,42,167本多正純
  • 1200,292,37,164正則處罰
  • 1741,290,38,165正則ノ處
  • 1650,297,40,156ノ遺命ナ
  • 1607,292,40,162リトノ説
  • 1694,287,41,169罰ハ家康
  • 1111,290,41,116主張ス
  • 1161,297,30,156ノコトヲ
  • 1893,732,43,338元和五年六月二日
  • 1898,2382,43,125七六八

類似アイテム