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よひしとろや、, の終る所如何しらす、, されとも勘解由か事は世に普く知らす、才藏か故事は人多く語り侍る, ふ、按に、才藏、始め佐々成政に屬し、後福嶋氏に仕て、當國に終る、遺言して、此, あたれる故なり、其裔可兒某云、この地、もと才藏が持〓る山莊の内なり、元, 嶺に葬らしむ、其意おもへらく、死して猶寇を禦ぐと、此嶺、藩府の東、要路に, 指物を〓立、そこにてい〓きよく討死をし、才藏か所爲と天地をなせり、, 祿中に、可兒才龍軒が建る石燈籠あり、, も口惜、才藏、後紀公に奉仕をしら、牧野兵庫と論する事有て立退しか、そ, 秀次、木下勘解由ろ馬を請れしかは、飛下り、秀次をのをまゐらを、我身は, 郡樂典郷、于時慶長十八年十一月廿四日と刻す、才藏か女恆子か所書とい, の傘にて侍るとて、乘なろら走り過しかは、時の人、不忠にして義なき者と, 所在を、土人は才藏嶺とよぶ、碑面に、かにさいさう藤原吉長、生國尾州葉栗, 〔藝藩通志, 〔増補忍名所圖繪〕, 可兒才藏の墓天祥寺門前杉林の中にあ, 四二安藝國安藝郡七可兒才藏墓矢賀村にあり、墓の, 〔増補忍名所圖繪〕城南之方可兒才藏の墓天祥寺門前杉林の中にあ, 墳墓, 城南之方, 城一, 四十二, 四計二安藝國安藝郡七可兒才藏墓矢賀村にあり、墓の, 村ノ墓, ニ仕ヘタ, リトノ説, 成政ニ仕, 徳川頼信, 初メ佐々, ヘタリト, 安藝矢賀, 武藏忍天, 祥寺ノ墓, ノ説, 元和五年六月二日, 八六一
割注
- 墳墓
- 城南之方
- 城一
- 四十二
- 四計二安藝國安藝郡七可兒才藏墓矢賀村にあり、墓の
頭注
- 村ノ墓
- ニ仕ヘタ
- リトノ説
- 成政ニ仕
- 徳川頼信
- 初メ佐々
- ヘタリト
- 安藝矢賀
- 武藏忍天
- 祥寺ノ墓
- ノ説
柱
- 元和五年六月二日
ノンブル
- 八六一
注記 (36)
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