『大日本史料』 12編 32 元和五年十一月~同年十二月 p.7

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純信六年五月十五日、遺領を繼、, 八、覺翁日教〓槃院と號す、葬地嘉前におなし、室は家臣大村右近頼直か, 隆信とゝもに、長崎におもむき、耶蘇宗門の徒の場屋を〓つ、このとしの, をうけて纜をとき、周防國上關を過おのところ、大坂城すてに陷ときゝ、, 五位下民部大輔に敍任す、五年十一月十三日、大村にをいて卒、年二十, いそき大坂にいたり、たゝちに馳て伏見に參り、台徳院殿に拜〓し、また, 九月五日、台徳院殿より領知の御朱印をた万ふ、四年十二月二十九日、從, 有馬の郡務を沙汰す、このとし、久嶋城を改め築く、元和元年、大坂の役に、, 豐臣家の臣北河次郎兵衞宣勝及ひ男市左衞門長倫をめし預らお、三年, 秋、有馬左衞門佐直純か封地を移けるゝにより、仰をうけて、だの舊領北, 父とともに軍船に艤ひし、横瀬にあり〓命令を待、五月朔日、直純、父の命, 京都におもむき、東照宮にまみ冬たてまつり、台駕にだふて駿府に供奉, に代り、鍋嶋信濃守勝茂、寺澤志摩守廣高、有馬左衞門佐直純、松浦壹岐守, す、このとき仰によりて封を襲、暇賜りて領地に歸お、二年六月二十一日、, のち襲封を謝するの時、父乃遺物青, 女、, 時に, 三歳, 教徒ノ處, 久嶋城改, 長崎耶蘇, 大坂出陣, 墓地, 築, 法名, 分, 元和五年十一月十三日, 七

割注

  • 時に
  • 三歳

頭注

  • 教徒ノ處
  • 久嶋城改
  • 長崎耶蘇
  • 大坂出陣
  • 墓地
  • 法名

  • 元和五年十一月十三日

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注記 (28)

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