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堀太郎左衞門秀重か女、, き、柏原の御旅館にをいて酒肴を獻し、五年、また渡御のときも饗したて, る、且其邊乃御料所をありけられ、彼地に住す、三年、台徳院殿御上洛乃と, 彼地にをいて死す、年七十九、法名東玉、近江國番場の總寧寺に葬る、妻は, ○東玉、秀吉ヨリ近江、伊勢ノ地ヲ與ヘラルヽコト、天正十年是歳、秀吉、, 領知ノ判物ヲ與ヘラルヽコト、同十一年八月一日ノ條ニ、新庄雜齋, 其ト共ニ、京極高次ノ大津城ニ抵リ、和ヲ議スルコト、慶長五年九月十, まつな、このとき親筆枯木に八哥鳥の御畫をたまふ、六年正月二十五日、, をいて、三成逆意乃萠しあるのときも、むそろに志をつくせし事を御感, ト共ニ、唐崎松ヲ植繼グコト、天正十九年是秋ノ條ニ、高野山青巖寺應, ありて、舊領たるにより、近江國坂田郡柏原の御旅館守護の役を命せら, 新庄直頼ヲ山城山崎城ニ封ジ、三萬石ヲ知行セシムル條ニ、秀吉ヨリ, 直氏六年、父にかはりて、柏原の御殿をあつかり、御料所を支配す、, 四日ノ條ニ、駿府ニ抵リテ、家康ニ〓スルコト、元和元年三月十七日ノ, 元和六年正月二十五日, 樹, 直, 元和六年正月二十五日, 一五二
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- 樹
- 直
柱
- 元和六年正月二十五日
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- 一五二
注記 (19)
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