『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.511

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

細川幽齋の徒之もの也、かの家を出て、信長へも徒の者にすみけり、御意に, れ、獄門に梟せられ、かば金を路涯にさらす事、あなかちおもひあなどりた, 例なき君恩なり、其時代京童下〳〵まで、かりそめの事草にも、明智か者〓, 得テ、秀吉ノ陣ニ送ル、秀吉其屍ヲ求メ、是ヲ以テ首ヲ添へ、粟田口ニ磔ニス、, 相手に、一戰に打まけて、あまつさへ土民の手にかゝり、鍬鎌にて首を切ら, されけり、其のち五畿内おさまり、中國へ手指のとき、丹波一國加増せられ、, 江州まて御手に入たる時、同國坂本に築て、日向守にあづけ玉ひ、十萬石下, 尾某、光秀ガ面皮ヲ〓ギ、田中ニ埋メ終ニ自殺ス、村井春長ガ奴、光秀ガ首ヲ, 入り、頓と知行を下されて、疲馬壹疋の主となりて、次第〳〵にとり立られ、, ならぶる人なし、秀吉の武義武者つかいなどら、淺ましき事におもひ、世間, るにてもあるまし、又軍の手立のあしきにてもあるまし、此光秀ら、もとら, よりも、筑前いか程におもふとも、日向守にら叶ふましと、諸人見及ひたる, ヲ切折ル、長兵衞槍ヲ捨テ逃ル、光秀重創ニ〓免レ難ヲ計リ自〓ス、從者溝, 物がちがをふるといひたる程の權威なり、信長氣みしかに無理の多き大, 〔校合雜記〕十九そも〳〵明智日向守、武功長したる事は、其時代に肩を, 孝ノ徒ノ, 信長ハ短, 光秀ハ藤, 秀ニ叶フ, 秀吉ハ光, 氣二テ無, マジ, 者, 理ノ多キ, 天正十年六月十三日, 五一一

頭注

  • 孝ノ徒ノ
  • 信長ハ短
  • 光秀ハ藤
  • 秀ニ叶フ
  • 秀吉ハ光
  • 氣二テ無
  • マジ
  • 理ノ多キ

  • 天正十年六月十三日

ノンブル

  • 五一一

注記 (26)

  • 851,641,68,2183細川幽齋の徒之もの也、かの家を出て、信長へも徒の者にすみけり、御意に
  • 1087,643,64,2189れ、獄門に梟せられ、かば金を路涯にさらす事、あなかちおもひあなどりた
  • 393,644,61,2182例なき君恩なり、其時代京童下〳〵まで、かりそめの事草にも、明智か者〓
  • 1669,633,68,2208得テ、秀吉ノ陣ニ送ル、秀吉其屍ヲ求メ、是ヲ以テ首ヲ添へ、粟田口ニ磔ニス、
  • 1205,645,66,2187相手に、一戰に打まけて、あまつさへ土民の手にかゝり、鍬鎌にて首を切ら
  • 511,646,60,2196されけり、其のち五畿内おさまり、中國へ手指のとき、丹波一國加増せられ、
  • 624,640,61,2195江州まて御手に入たる時、同國坂本に築て、日向守にあづけ玉ひ、十萬石下
  • 1786,640,68,2181尾某、光秀ガ面皮ヲ〓ギ、田中ニ埋メ終ニ自殺ス、村井春長ガ奴、光秀ガ首ヲ
  • 736,642,62,2204入り、頓と知行を下されて、疲馬壹疋の主となりて、次第〳〵にとり立られ、
  • 1440,638,67,2197ならぶる人なし、秀吉の武義武者つかいなどら、淺ましき事におもひ、世間
  • 973,648,64,2185るにてもあるまし、又軍の手立のあしきにてもあるまし、此光秀ら、もとら
  • 1322,646,62,2184よりも、筑前いか程におもふとも、日向守にら叶ふましと、諸人見及ひたる
  • 1902,646,67,2185ヲ切折ル、長兵衞槍ヲ捨テ逃ル、光秀重創ニ〓免レ難ヲ計リ自〓ス、從者溝
  • 279,641,62,2188物がちがをふるといひたる程の權威なり、信長氣みしかに無理の多き大
  • 1527,591,113,2244〔校合雜記〕十九そも〳〵明智日向守、武功長したる事は、其時代に肩を
  • 815,291,40,164孝ノ徒ノ
  • 338,290,42,168信長ハ短
  • 857,291,43,168光秀ハ藤
  • 1289,289,40,164秀ニ叶フ
  • 1335,290,40,168秀吉ハ光
  • 297,289,37,169氣二テ無
  • 1248,298,33,68マジ
  • 768,289,43,38
  • 248,291,41,164理ノ多キ
  • 176,723,44,381天正十年六月十三日
  • 178,2425,46,106五一一

類似アイテム