『大日本史料』 12編 35 元和六年是歳~元和六年雑載 p.321

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とき、勝則、光定か傍にありて、矢をはなち、高名をえたり, ゝにをひて、相共に挑みたゝかふ、戸田三郎右衞門忠次、敵軍にかこまれ、すてにあやう, く見えし所に、勝則これをすくはんかため、馬をはせ、矢をはなちて、敵兵四人を射〓、こ, 原に發向するところに、敵軍野田むら假粧地藏の邊に兵を伏てこれをふせかんとす、こ, 田の一族、大權現の仰をうけたまはりて、これをせむ、かるかゆへに、勝則等、作嶋より田, ならひに戸田忠次、外郭を保てこれをふせく、勝則また敵兵六人を射〓しぬ、すてに師, 元龜三年、遠州三方原合戰の時、敵兵きたりて、濱松の城邊を襲ふ、このとき菅沼小大膳, のゆへに、忠次命を全す、このとき戸田七内光定もまた、朝比奈三十郎と鑓をあはする, 息てのち、敵兵、勝則か放す所の矢五本に、菊川うちの矢の根十本をあひそへ、勝則にを, 成瀬, 永祿七年、今川氏眞、朝比奈肥後守をして、東參河田原の城に據らしむるとき、戸, くりぬ, 〔寛永諸家系圖傳〕, 正頼, 一齋, 食祿を賜ひ、忠次に附屬せらるトアリ、, 寛政重修諸家譜戸田勝則譜ニハ、九年、, 〇寛政重修諸家譜戸田勝則譜ニ、天正十九年五月三日、采地を相模國高座郡のうちにうつされ、二百石を, 百十, 石をたまふ、元和六年六月五日死す、年八十七、法名善休、高座郡, 柳島村の寶泉寺に葬る、妻ハ小笠原三郎兵衞朝高か女トアリ、, てまつる, 藤左, 賜ひ、御朱印を下さる、のち御側に近侍す、慶長六年九月、近江國野洲、栗太二郡のうちにして、新恩五百, トアリ、, 吉右衞門、○寛政重修, 衞門, 諸家譜、正一ニ作ル, 四, 歿ス, 原城ニ攻, 朝比奈肥, 成瀬一齋, 後守ヲ田, 世系, 元和六年雜載, 三二一

割注

  • 食祿を賜ひ、忠次に附屬せらるトアリ、
  • 寛政重修諸家譜戸田勝則譜ニハ、九年、
  • 〇寛政重修諸家譜戸田勝則譜ニ、天正十九年五月三日、采地を相模國高座郡のうちにうつされ、二百石を
  • 百十
  • 石をたまふ、元和六年六月五日死す、年八十七、法名善休、高座郡
  • 柳島村の寶泉寺に葬る、妻ハ小笠原三郎兵衞朝高か女トアリ、
  • てまつる
  • 藤左
  • 賜ひ、御朱印を下さる、のち御側に近侍す、慶長六年九月、近江國野洲、栗太二郡のうちにして、新恩五百
  • トアリ、
  • 吉右衞門、○寛政重修
  • 衞門
  • 諸家譜、正一ニ作ル

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  • 歿ス
  • 原城ニ攻
  • 朝比奈肥
  • 成瀬一齋
  • 後守ヲ田
  • 世系

  • 元和六年雜載

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  • 三二一

注記 (37)

  • 1230,685,56,1372とき、勝則、光定か傍にありて、矢をはなち、高名をえたり
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  • 1690,676,58,2140原に發向するところに、敵軍野田むら假粧地藏の邊に兵を伏てこれをふせかんとす、こ
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