『大日本史料』 12編 36 元和六年雑載~元和七年正月 p.133

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

候と書上候事、, 由申候事は、三ケ年以來の事ニ而候、碩學の者とも九人御座候内、寶龜院・正智院・西南, 院三人こそ死去仕候へ、其餘は各罷在事にて候、山の儀を野田原の百姓共ニ可渡子細, かの山荒川の奧と申者身躰仕候事は、所の年寄とも聞傳へ申候分も二百年にあたり, 一、右の山を野田原村に、如前々わたし申たる由書上申候事、, 古相國樣碩學領ニ荒川村を被下候而以後、寶性院四代の相續いつれも荒川村知行被, 申候、それ以前は幾年と申ほとを存たる者も無御座候、いつのほと野田原村の山に罷, 仕候、然を只今の寶性院、荒川の給人たるゆへ、山公事おこし出被申由書上申候事、寶性, 一、雨山を荒川よりしんたい仕候事、三箇年以前のよし書上申候事、, 山を、碩學とも私ニ野田原へ遣申候はん事、上聞恐有御事ニ候、, 是は誰人の手前より請取申候哉、百姓共、彼山を或は野田原の領内と申、又は質取たる, 成候哉、, 曾以無之候、其上荒川の知行と申候者、古相國樣別而御朱印を被成下候、其知行の内の, 一、只今の寶性院は、荒川村の給人にて御座候故、おこし出し、理不盡ニ彼山を荒川村に取申, 院一人の迷惑不過之候、, 野田原へ, 荒川ヨリ, 寶性院ハ, 渡ストイ, 荒川ノ給, 人, 退ス, 川ヨリ進, 雨山ハ荒, 元和六年雜載, 一三三

頭注

  • 野田原へ
  • 荒川ヨリ
  • 寶性院ハ
  • 渡ストイ
  • 荒川ノ給
  • 退ス
  • 川ヨリ進
  • 雨山ハ荒

  • 元和六年雜載

ノンブル

  • 一三三

注記 (26)

  • 642,642,57,347候と書上候事、
  • 1217,697,63,2099由申候事は、三ケ年以來の事ニ而候、碩學の者とも九人御座候内、寶龜院・正智院・西南
  • 1104,695,60,2100院三人こそ死去仕候へ、其餘は各罷在事にて候、山の儀を野田原の百姓共ニ可渡子細
  • 1798,700,62,2091かの山荒川の奧と申者身躰仕候事は、所の年寄とも聞傳へ申候分も二百年にあたり
  • 1452,601,56,1443一、右の山を野田原村に、如前々わたし申たる由書上申候事、
  • 526,700,60,2100古相國樣碩學領ニ荒川村を被下候而以後、寶性院四代の相續いつれも荒川村知行被
  • 1681,693,61,2104申候、それ以前は幾年と申ほとを存たる者も無御座候、いつのほと野田原村の山に罷
  • 412,694,60,2101仕候、然を只今の寶性院、荒川の給人たるゆへ、山公事おこし出被申由書上申候事、寶性
  • 1913,610,58,1601一、雨山を荒川よりしんたい仕候事、三箇年以前のよし書上申候事、
  • 873,699,59,1511山を、碩學とも私ニ野田原へ遣申候はん事、上聞恐有御事ニ候、
  • 1335,697,59,2092是は誰人の手前より請取申候哉、百姓共、彼山を或は野田原の領内と申、又は質取たる
  • 1567,695,55,176成候哉、
  • 986,694,61,2094曾以無之候、其上荒川の知行と申候者、古相國樣別而御朱印を被成下候、其知行の内の
  • 756,601,63,2198一、只今の寶性院は、荒川村の給人にて御座候故、おこし出し、理不盡ニ彼山を荒川村に取申
  • 293,698,57,577院一人の迷惑不過之候、
  • 1433,255,45,160野田原へ
  • 1485,256,43,166荒川ヨリ
  • 802,256,43,162寶性院ハ
  • 1384,253,40,164渡ストイ
  • 751,255,46,172荒川ノ給
  • 705,260,41,38
  • 1843,257,39,71退ス
  • 1892,256,43,169川ヨリ進
  • 1943,256,42,170雨山ハ荒
  • 197,753,45,249元和六年雜載
  • 195,2174,48,116一三三

類似アイテム