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たり〔, に依りて、總べての人々が其の精神上の統御者を奪はれ、終に其の信仰を棄つべき事を, を成遂げん事を望みたり、彼はイエズス・キリストの司牧者と主要なる信徒等との殺害, なる廷臣なりしかば、己が權力を囘復する爲め此この不正なる仕事に著手し、速かに之, 期待せしなり、彼は大村の幼少なる領主の代理者たるフィコヱモン, は將に注がれんとする總べての血潮の爲めに呻吟せり、されど彼は卑屈, 權六, に書翰を認, コ會士は牢獄の中に入り來りて聖なる告白者等にイエズス・キリストの聖體を頒ち與へ, 〓, たり、己〓は刑薑に赴時乾、此の試練の場所に在りて、宛も樂しき花園に在るが如く過したり、-八月十九日, (〇元和八年七月十三日ニ當ル、)附、ジョセフド・サン・ジャシント(joseph ce s. jacinto)の書翰)第七中, ラrl〓pinl3の書翰第七十九號、七十九號の二、七十三號)、ジヨセフ・ド・サン・ジャシントが長崎に出發の, 打五甲」い〓知年七月九田ニ當ル、〓附、ジャシント・オルファネル( jacinto orfanel)の書翰(第七十二號)、八, 月二十六日(〇元和八年七月二十日ニ當ル、)及び八月三十日(〇元和八年七月二十四日二當ル附カル易スピ, り、此の極度の憂愁は、軈て己が身を滅ぼすものと成るべきを信じたる時に、即ち獄中に於て、完ぐ彼上り離れ〓り, 六號を見、「ドレホジヨセフド・サン・ジャシントは多年肺病を患ひ憔悴せり、-八月十九日(〇元和, 年七月十三日ニ當ル、)附、アンジェル・フェレール(angel ferrer)〓○おるすっち)の書翰(第七十一號)、〓所一, 際に認めたる九月九日(○元和八年八月四日ニ當ル)付の書翰(第八十號)、及びペドロ・ダビラ(pedros〓〓)の印, 灯を闕て書翰(第十〓號)を見よードレ・スピノラは又長崎のキリスト教徒、殊に慈悲の會(la misericorde), ○大村彦右, 谷川藤正, ○長崎奉行長, 衞門純勝, 其の或るものの中には、現在の會長たりしコリヤードをアモ(amo)又はカピタン(capitan)と, 呼び、或は彼がサラマンカ修道院の修道士たりしを以てサルマンチノ(salmantino)と呼べり、, 原註、附録書翰參照い〓附録書翰〓文ハ之ヲ省略ス)、kが八月十九日(○元和八年七月十三日ニ當ル、)附、, アロンソ・デ・メナ(alonso de mena)の書翰(附録第七十五號)を見よパ〓ドナは長ら, の會員に宛てゝ書翰を認めたり、そは彼の愛の遺書なりき、如上の書翰は孰れも俗人に宛てしものとして記されたり、, 重病に苫〓〓、〓に憂〓〓に惱以しが、い猶ほその身を傳道に捧ぐる事を續けたり、彼は此の事に慰安と鎭靜とを得, 灯をヌて書翰(第八十〓號)を見よ、しパードレ・スピノラは又長崎のキリスト教徒、殊に慈悲の會(la misericorde), 丁五中(○近知年七月十九日ニ當ル、)附、ジャシント・オルファネル(jacinto orfanel)の書翰(第七十二號)、八, 年七月十三日ニ當ル、)附、アンジェル・フェレール(angel ferrer)(○おるすっち)の書翰(第七十一號)、万所, 際に認めたる九月九日(○元和八年八月四日ニ當ル)付の書翰(第八十號)、及びペドロ・ダビラ(pedrosa〓の印, り、此の極度の憂愁は、軈て己が身を滅ぼすものと成るべきを信じたる時に、即ち獄中に於て、ヽ完ぐ彼〓離れ〓り, 月二十六日(〇元和八年七月二十日ニ當ル、)及び八月三十日(〇元和八年七月二十四日二當ル附カル易スピ, ラrl. spinola)の書翰第七十九號、七十九號の二、七十三號)、ジョセフ・ド・サン・ジャシントが長崎に出發の, 〓號を見、ドレジヨセフ・ド・サン・ジャシントは多年肺病を患ひ憔悴せり、-八月十九日(〇元和, 〓り、般は次刑臺に赴く時迄、此の試錬の場所に在りて、宛も樂しき花園に在るが如く過したり、-八月十九, (○元和八年七月十三日ニ當ル、)附、ジョセフ・ド・サン・ジャシント(joseph de s. jacinto)の書翰)第七中, ヨリ一般信, 長谷川藤正, 命ジテ大村, 此ノ殉教ニ, ルヲ期待ス, 大村純勝ニ, ノ牢ニ在リ, 徒ノ棄教ス, シ囚人ノ内, 長崎ニテ捕, 元和八年八月五日, 三二五
割注
- ○大村彦右
- 谷川藤正
- ○長崎奉行長
- 衞門純勝
- 其の或るものの中には、現在の會長たりしコリヤードをアモ(amo)又はカピタン(capitan)と
- 呼び、或は彼がサラマンカ修道院の修道士たりしを以てサルマンチノ(salmantino)と呼べり、
- 原註、附録書翰參照い〓附録書翰〓文ハ之ヲ省略ス)、kが八月十九日(○元和八年七月十三日ニ當ル、)附、
- アロンソ・デ・メナ(alonso de mena)の書翰(附録第七十五號)を見よパ〓ドナは長ら
- の會員に宛てゝ書翰を認めたり、そは彼の愛の遺書なりき、如上の書翰は孰れも俗人に宛てしものとして記されたり、
- 重病に苫〓〓、〓に憂〓〓に惱以しが、い猶ほその身を傳道に捧ぐる事を續けたり、彼は此の事に慰安と鎭靜とを得
- 灯をヌて書翰(第八十〓號)を見よ、しパードレ・スピノラは又長崎のキリスト教徒、殊に慈悲の會(la misericorde)
- 丁五中(○近知年七月十九日ニ當ル、)附、ジャシント・オルファネル(jacinto orfanel)の書翰(第七十二號)、八
- 年七月十三日ニ當ル、)附、アンジェル・フェレール(angel ferrer)(○おるすっち)の書翰(第七十一號)、万所
- 際に認めたる九月九日(○元和八年八月四日ニ當ル)付の書翰(第八十號)、及びペドロ・ダビラ(pedrosa〓の印
- り、此の極度の憂愁は、軈て己が身を滅ぼすものと成るべきを信じたる時に、即ち獄中に於て、ヽ完ぐ彼〓離れ〓り
- 月二十六日(〇元和八年七月二十日ニ當ル、)及び八月三十日(〇元和八年七月二十四日二當ル附カル易スピ
- ラrl. spinola)の書翰第七十九號、七十九號の二、七十三號)、ジョセフ・ド・サン・ジャシントが長崎に出發の
- 〓號を見、ドレジヨセフ・ド・サン・ジャシントは多年肺病を患ひ憔悴せり、-八月十九日(〇元和
- 〓り、般は次刑臺に赴く時迄、此の試錬の場所に在りて、宛も樂しき花園に在るが如く過したり、-八月十九
- (○元和八年七月十三日ニ當ル、)附、ジョセフ・ド・サン・ジャシント(joseph de s. jacinto)の書翰)第七中
頭注
- ヨリ一般信
- 長谷川藤正
- 命ジテ大村
- 此ノ殉教ニ
- ルヲ期待ス
- 大村純勝ニ
- ノ牢ニ在リ
- 徒ノ棄教ス
- シ囚人ノ内
- 長崎ニテ捕
柱
- 元和八年八月五日
ノンブル
- 三二五
注記 (52)
- 1682,677,72,137たり〔
- 398,668,71,2224に依りて、總べての人々が其の精神上の統御者を奪はれ、終に其の信仰を棄つべき事を
- 510,670,74,2226を成遂げん事を望みたり、彼はイエズス・キリストの司牧者と主要なる信徒等との殺害
- 627,667,72,2233なる廷臣なりしかば、己が權力を囘復する爲め此この不正なる仕事に著手し、速かに之
- 286,657,67,1739期待せしなり、彼は大村の幼少なる領主の代理者たるフィコヱモン
- 741,1067,76,1834は將に注がれんとする總べての血潮の爲めに呻吟せり、されど彼は卑屈
- 765,664,54,108權六
- 281,2618,53,275に書翰を認
- 1786,679,77,2219コ會士は牢獄の中に入り來りて聖なる告白者等にイエズス・キリストの聖體を頒ち與へ
- 848,2524,76,42〓
- 1464,676,61,2234たり、己〓は刑薑に赴時乾、此の試練の場所に在りて、宛も樂しき花園に在るが如く過したり、-八月十九日
- 1419,679,66,2225(〇元和八年七月十三日ニ當ル、)附、ジョセフド・サン・ジャシント(joseph ce s. jacinto)の書翰)第七中
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- 1231,683,63,2221打五甲」い〓知年七月九田ニ當ル、〓附、ジャシント・オルファネル( jacinto orfanel)の書翰(第七十二號)、八
- 1190,674,59,2225月二十六日(〇元和八年七月二十日ニ當ル、)及び八月三十日(〇元和八年七月二十四日二當ル附カル易スピ
- 1536,676,62,2226り、此の極度の憂愁は、軈て己が身を滅ぼすものと成るべきを信じたる時に、即ち獄中に於て、完ぐ彼上り離れ〓り
- 1349,681,60,2214六號を見、「ドレホジヨセフド・サン・ジャシントは多年肺病を患ひ憔悴せり、-八月十九日(〇元和
- 1303,674,62,2220年七月十三日ニ當ル、)附、アンジェル・フェレール(angel ferrer)〓○おるすっち)の書翰(第七十一號)、〓所一
- 1075,665,61,2233際に認めたる九月九日(○元和八年八月四日ニ當ル)付の書翰(第八十號)、及びペドロ・ダビラ(pedros〓〓)の印
- 1005,674,55,2229灯を闕て書翰(第十〓號)を見よードレ・スピノラは又長崎のキリスト教徒、殊に慈悲の會(la misericorde)
- 311,2396,46,214○大村彦右
- 746,793,42,176谷川藤正
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- 267,2394,42,173衞門純勝
- 891,665,57,1858其の或るものの中には、現在の會長たりしコリヤードをアモ(amo)又はカピタン(capitan)と
- 845,667,59,1849呼び、或は彼がサラマンカ修道院の修道士たりしを以てサルマンチノ(salmantino)と呼べり、
- 1695,814,64,2094原註、附録書翰參照い〓附録書翰〓文ハ之ヲ省略ス)、kが八月十九日(○元和八年七月十三日ニ當ル、)附、
- 1652,815,62,2093アロンソ・デ・メナ(alonso de mena)の書翰(附録第七十五號)を見よパ〓ドナは長ら
- 962,675,55,2221の會員に宛てゝ書翰を認めたり、そは彼の愛の遺書なりき、如上の書翰は孰れも俗人に宛てしものとして記されたり、
- 1584,675,60,2224重病に苫〓〓、〓に憂〓〓に惱以しが、い猶ほその身を傳道に捧ぐる事を續けたり、彼は此の事に慰安と鎭靜とを得
- 1005,678,56,2223灯をヌて書翰(第八十〓號)を見よ、しパードレ・スピノラは又長崎のキリスト教徒、殊に慈悲の會(la misericorde)
- 1233,679,61,2226丁五中(○近知年七月十九日ニ當ル、)附、ジャシント・オルファネル(jacinto orfanel)の書翰(第七十二號)、八
- 1304,677,60,2210年七月十三日ニ當ル、)附、アンジェル・フェレール(angel ferrer)(○おるすっち)の書翰(第七十一號)、万所
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- 1191,675,59,2223月二十六日(〇元和八年七月二十日ニ當ル、)及び八月三十日(〇元和八年七月二十四日二當ル附カル易スピ
- 1118,674,59,2231ラrl. spinola)の書翰第七十九號、七十九號の二、七十三號)、ジョセフ・ド・サン・ジャシントが長崎に出發の
- 1351,684,59,2209〓號を見、ドレジヨセフ・ド・サン・ジャシントは多年肺病を患ひ憔悴せり、-八月十九日(〇元和
- 1469,689,58,2192〓り、般は次刑臺に赴く時迄、此の試錬の場所に在りて、宛も樂しき花園に在るが如く過したり、-八月十九
- 1419,691,63,2204(○元和八年七月十三日ニ當ル、)附、ジョセフ・ド・サン・ジャシント(joseph de s. jacinto)の書翰)第七中
- 692,331,40,209ヨリ一般信
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