『大日本史料』 12編 47 元和八年八月 p.8

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聞に達し、九月三日、賞譽の御書をたまひ、關原の戰ひにも敵數多討とり、軍散じて, これにより、丹後國を請たてまつりしかば、舊領をあらためられ、丹後國をたまひ、, に高知後備たりといへども、搦手より荒神洞に攀登り、一番に本丸に乘入、この旨上, にたてまつる、十九年、大坂の役に、大和口の御先手をうけたまはり、包永の御刀を, る、この年、井伊直政をもつて、その戰功を賞せられ、近江國高嶋郡に越前の敦賀を, のち、大津の城をすくはむがため、請て御先手を奉はり、夜中に馳て、長濱にいた, より、證人として、その女をもつて井伊直政が所領上野國高崎にをくり、八月朔日、, 加へたまはらんや、また丹後國をたまはらむや、宜其望にまかすべきむね仰下さる、, このとき、守家、をよび定吉の御刀をひかる、十七年、四男萬作某を質として、江戸, 諸將とゝもに御先にはせ登り、二十三日、福嶋正則等とおなじく岐阜城をせむ、とき, 伐のとき從ひたてまつり、下野國小山にいたるのところ、石田三成が叛逆の告あるに, り、火をあげて城中に示すといへども、城すでに陷りしかば、高知は長濱にとゞま, 十二萬三千二百石を領し、宮津城に住す、そのゝち、仰により、丹後守にあらたむ、, たまふ、元和元年の役には、京口の先鋒となりて、出口に陣どり、敵兵淺香雅樂某を, 丹後十二萬, 三千二百石, ヲ領ス, 元和八年八月十二日, 八

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  • 丹後十二萬
  • 三千二百石
  • ヲ領ス

  • 元和八年八月十二日

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  • 1281,726,63,2178聞に達し、九月三日、賞譽の御書をたまひ、關原の戰ひにも敵數多討とり、軍散じて
  • 701,732,61,2142これにより、丹後國を請たてまつりしかば、舊領をあらためられ、丹後國をたまひ、
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  • 1167,729,61,2179のち、大津の城をすくはむがため、請て御先手を奉はり、夜中に馳て、長濱にいた
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