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叔父直正をして、丹波の奧三郡の國政をとり行はしむ、其のち、豐臣太閤, に就て、織田右府にまみへ、元龜元年三月、右府より本領安堵の朱印をた, のうち三郡は、外家波多野元秀これを領し、赤井、波多野の兩家合體たり、, 濃國蘆田にいたり、一族等か許に在るへきむね仰を蒙り、男忠泰とゝも, といへとも、つゐに光秀等かために敗亡し、遠江國に至り二俣に住す、文, 祿元年高麗陣のときより、太閤につかへ、二年九月二日、播磨國美嚢郡の, 門忠世に就て、東照宮の御摩下に屬せむことを請のところ、しはらく信, 長五年、上杉景勝命にそむくのとき、石田三成か與力の士矢田部助兵衞, め入る、忠家等兩家の兵をもつてこれをやふり、かたくその國をまもる, に彼地にゆく、のちふたゝひ太閤につかへ、また故ありてこれを辭す、慶, まふ、のち忠家丹後國與謝郡、但馬國朝來郡をうちたひらく、時に丹波國, うちにをいて、千石の地をあて行はるゝの朱印をあたへらる、其後、大和, 大納言秀長と不和のことあり、遠江國二俣におもむき、大久保七郎右衞, 其後、明智日向守光秀、織田七兵衞尉信澄、右府の命をうけて、丹波國にせ, 忠家母は波多野上總介元秀か女、忠家九歳にして父にわかれしにより、, 忠家, 慶長十年四月二十九日, 一六九
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- 忠家
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- 慶長十年四月二十九日
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- 一六九
注記 (18)
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