『大日本史料』 12編 30 元和四年是歳~元和五年六月 p.524

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

十三年八, 出陣し、軍功ありしかは、織田右府より感状を與へらを, 十四年、めさ〓〓台徳院殿ににろへたてがつり、十五年、下野國芳賀郡乃, を得たり、二年、婆乃功を賞せらきず、常陸國筑波、河内兩郡のうちにしだ、, うちにをいて一万石餘をたたひ、茂木を居所とす、十九年、大坂の役に、酒, ありて忠興とよろらすし〓、豐前國小倉を去て京師に住す、慶長十三年, り、五月七日、兩御所阿邊野に御旗をむァらるゝ乃とを、興元、忠世の男阿, 波守忠行か軍を指揮し、みつから敵を討だ力戰し、興元か手に首十四級, らはし、首數多を得たり、乃ち小田原をよひ朝鮮陣、或は美濃國岐阜の城, 春、東照宮、忠興兄弟を駿府にめされ、懇乃おほ勢あをにより、兄弟和順す、, 元、兄忠興か家臣松井佐渡康之、有吉四郎右衞門立行とゝもに戰功をあ, 興元長岡兵部大輔藤孝か二男、母は沼田上野介光兼か女、永祿五年生る、, 井忠世か手に屬して御供に列し、元和元年、再陣のときも、忠世か隊にあ, 攻、關原御陣乃ときも、兄忠興にしたろひ軍功をは老xす、さ乃ゝちゆへ, 月、豐臣太閤越中國に發向し、佐々成政か籠こる富山城を攻をのとき、興, 天正五年、河内國片岡城攻乃とを、兄忠興とゝもに父藤孝にしたろひて, 六歳、, 時に十, 大坂冬陣, 忠行ノ兵, 秀忠ニ仕, 和ニ依リ, テ浪人ス, 忠興ト不, ノ時酒井, ヲ指揮ス, 元和五年三月十八日, 五二四

割注

  • 六歳、
  • 時に十

頭注

  • 大坂冬陣
  • 忠行ノ兵
  • 秀忠ニ仕
  • 和ニ依リ
  • テ浪人ス
  • 忠興ト不
  • ノ時酒井
  • ヲ指揮ス

  • 元和五年三月十八日

ノンブル

  • 五二四

注記 (28)

  • 1581,2593,55,263十三年八
  • 1577,738,59,1621出陣し、軍功ありしかは、織田右府より感状を與へらを
  • 769,732,66,2129十四年、めさ〓〓台徳院殿ににろへたてがつり、十五年、下野國芳賀郡乃
  • 200,736,62,2134を得たり、二年、婆乃功を賞せらきず、常陸國筑波、河内兩郡のうちにしだ、
  • 655,736,62,2132うちにをいて一万石餘をたたひ、茂木を居所とす、十九年、大坂の役に、酒
  • 1001,738,62,2123ありて忠興とよろらすし〓、豐前國小倉を去て京師に住す、慶長十三年
  • 427,736,62,2124り、五月七日、兩御所阿邊野に御旗をむァらるゝ乃とを、興元、忠世の男阿
  • 313,732,64,2132波守忠行か軍を指揮し、みつから敵を討だ力戰し、興元か手に首十四級
  • 1231,738,62,2124らはし、首數多を得たり、乃ち小田原をよひ朝鮮陣、或は美濃國岐阜の城
  • 886,731,64,2138春、東照宮、忠興兄弟を駿府にめされ、懇乃おほ勢あをにより、兄弟和順す、
  • 1347,737,60,2124元、兄忠興か家臣松井佐渡康之、有吉四郎右衞門立行とゝもに戰功をあ
  • 1807,668,60,2203興元長岡兵部大輔藤孝か二男、母は沼田上野介光兼か女、永祿五年生る、
  • 542,731,64,2126井忠世か手に屬して御供に列し、元和元年、再陣のときも、忠世か隊にあ
  • 1117,732,63,2120攻、關原御陣乃ときも、兄忠興にしたろひ軍功をは老xす、さ乃ゝちゆへ
  • 1460,738,60,2127月、豐臣太閤越中國に發向し、佐々成政か籠こる富山城を攻をのとき、興
  • 1692,736,58,2126天正五年、河内國片岡城攻乃とを、兄忠興とゝもに父藤孝にしたろひて
  • 1563,2382,43,120六歳、
  • 1609,2379,41,185時に十
  • 490,305,43,170大坂冬陣
  • 401,306,41,166忠行ノ兵
  • 809,309,42,164秀忠ニ仕
  • 1118,311,40,163和ニ依リ
  • 1073,312,40,158テ浪人ス
  • 1160,308,43,167忠興ト不
  • 446,310,41,163ノ時酒井
  • 357,307,44,160ヲ指揮ス
  • 1924,752,43,383元和五年三月十八日
  • 1923,2404,41,122五二四

類似アイテム