『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.579

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おもむきけき、〓乃ありさた、兄弟ともにもとゆひを拂ひ、且元は羽織き, ろの御羽織をかつきら〓、仰により〓江戸に參り、本多正信をもつてこ, 贈り、あた正信より、はゝかむところなく茨木に在城すへき旨、兩御所乃, を〓たふ、だのゝち本多正純、板倉重昌より、東照宮御感乃む手誓文状を, て肩輿に乃き、次に兄弟の妻子郎從、〓乃次に貞隆具足してこれにした, 正純ににきて、此度の始末を言上せしかと、兩使を御前にめさ滯、兄弟の, たてま〓る、あつ京都に出て、板倉勝重に消息せしめ、駿府にい〓り、本多, とに茨木につきぬ、次乃日家臣小嶋庄兵衞某、梅戸忠助某二人を駿府に, 治長か子信濃、織田有樂か子武藏をも、河内乃荒川よりかへし、日の入ほ, 御旨をつたふ、大坂御陣乃とき、兄弟をめさるといへとも、供奉せむ事は, 思よしを上聞に達しけれて、台徳院殿よりも御書を下のれ、使にも時服, 進退を感しけせ童たふよし御書を下けれ、庄兵衞にめさせたあふとこ, かひ、從者みな鎗乃鞘をはつし、火繩母火をつきたり、人質にとりし大野, 乃〓くひにい〓よあて會計し、十月朔日乃夘刻に大坂を立す、茨木にだ, 弟のうきたあはりし門々を七組のものにワたし、印章をよひ倉廩錢穀, 元和元年五月二十八日, 且元ノ進, ヲ得タル, 退宜シキ, 家康秀忠, 城ニ退ク, ヲ賞ス, 且元茨木, 大坂冬役, ニ出陣, 五七九

頭注

  • 且元ノ進
  • ヲ得タル
  • 退宜シキ
  • 家康秀忠
  • 城ニ退ク
  • ヲ賞ス
  • 且元茨木
  • 大坂冬役
  • ニ出陣

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  • 五七九

注記 (26)

  • 1695,722,67,2134おもむきけき、〓乃ありさた、兄弟ともにもとゆひを拂ひ、且元は羽織き
  • 751,700,68,2147ろの御羽織をかつきら〓、仰により〓江戸に參り、本多正信をもつてこ
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