『大日本史料』 12編 48 元和八年八月~同年九月 p.121

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の人數三百あまり立籠、家康せめおとし、大たかニまし〳〵、伯父水野宗兵衞とて信長, むかひ、てつほう・ゆみもうちすて、たゝむたひにうちてかゝらせたまひ候へとて、を, かたの兵、義元打死、はやのかれ候て、岡嶋の城二三日かゝへ候へ、我等のあつかい信, へすして、とつとはいくん、義元首を毛利新助とる、折節西より大風吹、あられふり、, かたの使ニをとろきのき候はん事とて、本丸へ馬を入たまふ所へ、はいくんせひなき次, んくわ出來たりとて、六萬餘きの者ともさはきたつ所へ、信長二千あまりにて、一人も, すてさせたまはてとて、我〻は東むきに今川はた本へみたれ入へし、殿ハわきやりに御, 大たか・くつかけの大木ふきころひ申也、五月十九日巳ノ刻、首數五千計打とり大利を, えさせたまふ、信長廿七歳也、徳川殿は廿四歳3、今川殿の先かけ、大たかの城ニ信長殿, 長と一味させ可申と使有、心え候とて、大手の口まて被出候、いかにおちなり共、てき, のかさしとて、おめきさけんて大音をあけて、きつてかゝりたまふ、ひとさゝへもさゝ, しむかふ、義元ゆたんして有所へ、三百五十計うちこみたり、あんのことく本ちんこけ, もめうなる御出也、それかし命をすて候はゝ、今日の御合戰に御かち候事必定也、今日, 天下わけめのかつせんこれ也、天下をおさめたまひ候時、弟内藏佐・我等せかれを御み, 元和八年九月二十六日, 二一

  • 元和八年九月二十六日

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  • 二一

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