『大日本史料』 12編 49 元和八年十月~同年十一月 p.87

Loading…

要素

割注ノンブル

OCR テキスト

右京大夫に預置る、家來の者は早こ本國へ歸るへしと云渡ス、家老并與頭共大に仰天し、, 珍美を盡さる、又、茶寮にて茶を供せんとあれは、兩人則露次入せられ、左京亮、圍の中, 刷ひ、上野殿へ上意の候と、眼色正しく申さるれは、上野介畏て頭を席に著承る、上意こ, 聞身に餘り候へは、責ての祝儀に、當城にて饗應を致たく存ると、餘義なく申さるゝによ, 參、今度御加増地拜領仕と申人こそ多きに、貴公上使として、爰許迄指下さるゝ忝さ、外, にて茶を點し進らる、北苑の仙味を試み、風興ことにしめやか也、暫有て、左京亮上下を, つつと出、前後ゟ上野介を引立出つ、裏門に忍ひ扣たる佐竹か者共頓て籠輿に打乘セ、飛, り、是に應し一日逗留有、早速事を調、相伴には、丹波五郎左衞門尉被參、鼎味に山野の, か如くに連行、稍有て、左京亮郎從に申付、上野介御不審を蒙り、秋田表へ遣され、佐竹, は、上野介御牙鑿を遂らるゝ義有之條、今度佐竹右京大夫に召預らるゝ也、是ゟ直に彼領, なし、上野介既に山形に至り、家老・組頭共を始、城下の近所半里一里か間、爰彼こに宿, を隔居けれは、物ことに不自由なる事也、日を定め、今迄の城番丹羽五郎左衞門え下知有、, 城を〓させ、左京亮へ引渡し、立歸らんとす、左京亮自身、彼地え被, 分由利表へ罷越、逼塞仕るへしと申渡、誰か有罷出よと云へは、兼而申付らるゝ屈強の者, ○山形城ノ城番ヲ長, 重トナスハ誤ナリ、, 元和八年十月一日, 八七

割注

  • ○山形城ノ城番ヲ長
  • 重トナスハ誤ナリ、

  • 元和八年十月一日

ノンブル

  • 八七

注記 (18)

  • 313,730,59,2135右京大夫に預置る、家來の者は早こ本國へ歸るへしと云渡ス、家老并與頭共大に仰天し、
  • 1166,729,57,2177珍美を盡さる、又、茶寮にて茶を供せんとあれは、兩人則露次入せられ、左京亮、圍の中
  • 924,729,58,2165刷ひ、上野殿へ上意の候と、眼色正しく申さるれは、上野介畏て頭を席に著承る、上意こ
  • 1409,729,58,2173聞身に餘り候へは、責ての祝儀に、當城にて饗應を致たく存ると、餘義なく申さるゝによ
  • 1522,727,59,2180參、今度御加増地拜領仕と申人こそ多きに、貴公上使として、爰許迄指下さるゝ忝さ、外
  • 1045,736,58,2168にて茶を點し進らる、北苑の仙味を試み、風興ことにしめやか也、暫有て、左京亮上下を
  • 555,738,59,2171つつと出、前後ゟ上野介を引立出つ、裏門に忍ひ扣たる佐竹か者共頓て籠輿に打乘セ、飛
  • 1287,732,59,2168り、是に應し一日逗留有、早速事を調、相伴には、丹波五郎左衞門尉被參、鼎味に山野の
  • 434,732,59,2173か如くに連行、稍有て、左京亮郎從に申付、上野介御不審を蒙り、秋田表へ遣され、佐竹
  • 804,738,58,2173は、上野介御牙鑿を遂らるゝ義有之條、今度佐竹右京大夫に召預らるゝ也、是ゟ直に彼領
  • 1886,730,57,2180なし、上野介既に山形に至り、家老・組頭共を始、城下の近所半里一里か間、爰彼こに宿
  • 1766,735,60,2187を隔居けれは、物ことに不自由なる事也、日を定め、今迄の城番丹羽五郎左衞門え下知有、
  • 1643,1166,58,1747城を〓させ、左京亮へ引渡し、立歸らんとす、左京亮自身、彼地え被
  • 676,736,57,2170分由利表へ罷越、逼塞仕るへしと申渡、誰か有罷出よと云へは、兼而申付らるゝ屈強の者
  • 1674,732,45,386○山形城ノ城番ヲ長
  • 1630,734,44,355重トナスハ誤ナリ、
  • 204,781,46,339元和八年十月一日
  • 204,2564,43,79八七

類似アイテム