『大日本維新史料 編年之部』 3編 1 安政5年1月 p.575

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は、兼々冀望致候建儲之義も御伺濟に成たるよし、全く兄にも力を用ひられたる故なるへ, 計ニ付ては、京師ニおゐて關東之御沙汰以の外にて、, 中にも、かゝる御使に遣はされん人ハ多くもあらねは、おほし煩はセ給ふに、橋本左内は, も拘はるへき御大事なる故、朝廷の御首尾如何あるへき哉、自然事の縺れとなりて、備, なる故、其策を仰越されしかと、土佐殿の御返答も亦よきなき御譯に聞ゆれは、御内人の, あらねは、京師の方人となりて、京師を援るふりして、關東の事情を解釋する手段もある, 中殿の歸府延引に及はんには、諸端の不都合は元よりにて、就中西城の御一件なとには、, 慮坐すといへとも、備中殿を初歴々の有司、, 者をや遣はさるへきと議セられたり、, 先年京攝の間に遊歴して、知己も少なからす、外國の事情も心得、且才覺も勝れたれは、此, へき歟と思召せとも、上方へは然るへき御手筋もなけれは、幸に土佐守殿は三條殿の御聟, 宸襟安からさるふと、端々聞えたる事もあれは、此度備中殿の御上京は、關東の御榮辱に, 正月廿二日、松平伊賀守殿へ御出、御逢對にて公仰けるは、此比備中殿の申さる旨にて, 大なる妨害も出來ぬへけれは、如何にもして上方の一件早く事濟ぬへき樣にと、深く御憂, 上らるゝ上は、言加へ給ふへくも, 川路左衞門尉、, 岩瀬肥後守、, 不首尾ハ西, 城一件ニモ, 都差遣ノ議, 橋本左内京, 堀田ノ京都, 影響スベシ, 安政五年正月二十四日, 五七五

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  • 川路左衞門尉、
  • 岩瀬肥後守、

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  • 不首尾ハ西
  • 城一件ニモ
  • 都差遣ノ議
  • 橋本左内京
  • 堀田ノ京都
  • 影響スベシ

  • 安政五年正月二十四日

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  • 五七五

注記 (25)

  • 199,636,62,2194は、兼々冀望致候建儲之義も御伺濟に成たるよし、全く兄にも力を用ひられたる故なるへ
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