Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
より討て出で味方すでに敗れむとせしを、胤久兄弟ならびに小池筑前守某とおなじく, 年小田原陣に從ひたてまつり、岩槻城を攻るのとき、大寶曲輪まで乘いり戰功ありし, 慶長五年上杉景勝御征伐のとき、七月七日、中川市右衞門忠重とゝもに鈞命をうけて、, 諸卒を率ゐて軍をおさめしにより、二月二日、三人の者へ御感の御書を下さる、十八, かば、また新恩の地を賜ふ、十九年七月陸奧國九戸一揆のとき、岩手澤まで扈從す、, のときも供奉の列にあり、そのゝち尾張大納言義直卿に附屬せられ、さきにたまふ采, 最上出羽守義光が所領山形にいたり御使をつとむ、のち台徳院殿下野宇都宮に御發向, 地は、男胤トにたまふ、元和八年八月十八日死す、年七十七、法名全忠、武藏國榛澤, 郡田中村の天澤寺に葬る、, 〔士林派〓〕, 津金, 胤時, 家康朱印状、竝二同年九月九日附胤久充家康朱印状ヲ載ス、天正十年七月七日, ○譜牒餘録後編津金胤長呈譜、天正十年七月九日附津金胤久・小尾祐光充徳川, 日ノ條二收ム, ○名古〓叢書續編十七所收, 竝ニ同年九月七, 美, ハ甲之部一一, 上杉景勝征, 義光へノ使, 伐ノ時最卜, 者ヲ勤ム, 元和八年雜載疾病・死歿, 二五一一
割注
- 家康朱印状、竝二同年九月九日附胤久充家康朱印状ヲ載ス、天正十年七月七日
- ○譜牒餘録後編津金胤長呈譜、天正十年七月九日附津金胤久・小尾祐光充徳川
- 日ノ條二收ム
- ○名古〓叢書續編十七所收
- 竝ニ同年九月七
- 美
- ハ甲之部一一
頭注
- 上杉景勝征
- 義光へノ使
- 伐ノ時最卜
- 者ヲ勤ム
柱
- 元和八年雜載疾病・死歿
ノンブル
- 二五一一
注記 (25)
- 1897,718,61,2207より討て出で味方すでに敗れむとせしを、胤久兄弟ならびに小池筑前守某とおなじく
- 1650,717,67,2207年小田原陣に從ひたてまつり、岩槻城を攻るのとき、大寶曲輪まで乘いり戰功ありし
- 1407,713,64,2232慶長五年上杉景勝御征伐のとき、七月七日、中川市右衞門忠重とゝもに鈞命をうけて、
- 1773,716,66,2202諸卒を率ゐて軍をおさめしにより、二月二日、三人の者へ御感の御書を下さる、十八
- 1525,719,68,2173かば、また新恩の地を賜ふ、十九年七月陸奧國九戸一揆のとき、岩手澤まで扈從す、
- 1161,721,63,2202のときも供奉の列にあり、そのゝち尾張大納言義直卿に附屬せられ、さきにたまふ采
- 1282,711,65,2215最上出羽守義光が所領山形にいたり御使をつとむ、のち台徳院殿下野宇都宮に御發向
- 1039,712,66,2220地は、男胤トにたまふ、元和八年八月十八日死す、年七十七、法名全忠、武藏國榛澤
- 925,712,57,680郡田中村の天澤寺に葬る、
- 675,641,75,359〔士林派〓〕
- 683,1637,52,106津金
- 557,650,58,110胤時
- 906,1429,43,1508家康朱印状、竝二同年九月九日附胤久充家康朱印状ヲ載ス、天正十年七月七日
- 946,1429,46,1503○譜牒餘録後編津金胤長呈譜、天正十年七月九日附津金胤久・小尾祐光充徳川
- 791,713,41,248日ノ條二收ム
- 667,1065,38,503○名古〓叢書續編十七所收
- 835,711,40,291竝ニ同年九月七
- 597,770,40,41美
- 709,1077,40,229ハ甲之部一一
- 1459,285,42,208上杉景勝征
- 1374,284,42,210義光へノ使
- 1420,286,36,205伐ノ時最卜
- 1330,283,37,159者ヲ勤ム
- 180,738,47,516元和八年雜載疾病・死歿
- 178,2537,37,112二五一一







