『大日本維新史料 編年之部』 3編 7 安政5年5月11日~5月晦日 p.754

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て、六月末・七月始にもなるへき歟と申さる、, は、三家・三卿・溜詰衆へ、御内意倉仰出、表向の御弘メは、朔日の御内意、京師へ御伺濟に, 一、此夕、岩瀬肥州ゟ、左内へ投書、如左、, りしに、備中殿愧チたる面持チにて、最早是非もなき事にて、紀州殿と決し、來ル朔日に, 五月晦日、今朝尾張殿へ、明日建儲の御内意あるへき旨、昨日備中殿ゟ御聞込候間、猶又斷, 然として刑部卿殿ならては適ひかたき旨、御主張あるへき樣、御内意を被仰進たり、但、御草, 一尾張殿ゟ、去ル廿八日に被進たる御内書の御返翰來れり、如左、, 一、此日、水野筑州よりも呈書あり、要件抄出する左のごとし、, 五月廿九日、此夕、堀田備中守殿へ御出ありて、御相對の上、廟堂頃日の景況如何と御尋あ, 一、水筑州を被仰遣、田安殿へ、御内意の節、御幼弱之御方にて不可然旨、被仰セ立候樣、可, 稿を逸す、, ○五月二十八日附、田安家附家老水野忠徳松, 平慶永宛書翰、上ニ掲グルヲ以テ、之ヲ略ス。, 宛書翰、上ニ掲グルヲ以テ、之ヲ略ス。, ○五月二十八日附、岩瀬忠震橋本左内, ○五月晦日附、徳川慶恕松平慶永宛, 書翰、上ニ掲グルヲ以テ、之ヲ略ス(, ○中, 略、, 略、, ○中, 田正睦ヲ訪, 松平慶永堀, 安政五年五月二十八日, 七五四

割注

  • ○五月二十八日附、田安家附家老水野忠徳松
  • 平慶永宛書翰、上ニ掲グルヲ以テ、之ヲ略ス。
  • 宛書翰、上ニ掲グルヲ以テ、之ヲ略ス。
  • ○五月二十八日附、岩瀬忠震橋本左内
  • ○五月晦日附、徳川慶恕松平慶永宛
  • 書翰、上ニ掲グルヲ以テ、之ヲ略ス(
  • ○中
  • 略、

頭注

  • 田正睦ヲ訪
  • 松平慶永堀

  • 安政五年五月二十八日

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  • 七五四

注記 (25)

  • 1008,638,63,1096て、六月末・七月始にもなるへき歟と申さる、
  • 1117,647,72,2196は、三家・三卿・溜詰衆へ、御内意倉仰出、表向の御弘メは、朔日の御内意、京師へ御伺濟に
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