『大日本維新史料 編年之部』 3編 3 安政5年3月1日~同月20日 p.696

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面は此節嫌疑中にて取揚かたしと、手にも觸れさる故、御附武家もせんかたなくて一ト通, 後は事の遷延ニ堪兼、始末の事情を書取て、御附武家を以傳奏衆へ指出せしに、かゝる書, を御答ありしに、殊の外有志の者にて、肥後之方へ往來して、事の助けにもなれる由を申, といへるは何者にやと御尋申上らるゝ故、目付共の手先にて、探索の事なとに召仕はる由, 初手足を措く處なく、囚人の有樣にて困り果居らるゝ由なと申上られ、其續きに近藤了介, り讀て聞かせまゐらせしに、耳の役に聞かれしのみにて、何とも申されぬ次第故、備中殿, 上られしとそ、, 老公など例之御持論を暴發せられ、又尾張殿なんとも、不通之御建議なとありては、天下, 樣にて西城の事を被仰出たるに、例の備中殿の歸府あらては、適ひかたき由をのみ申され, て、別て申さる事もあらす、京都の樣子は如何にと問はセ給ふに、十九日發の飛脚に、廿日, こは參内勅答之由申來候へと、如何なる勅答にあるらんと心痛せらるゝよし、岩瀬肥, 勅答之次第、實こ不容易次第にて、於關東御三家始、諸大名へ御布告あらん時に指當り、水, 右大學・左内の書状、直樣御覽に入れたりしに、廿日、備中殿參内にて、, 三月廿八日、去ル廿二日京發之急便到着、, ○三國大學・橋本左内・服部熊五郎等ノ書翰ハ、三月, 三日・同十四日ノ條下ニ掲グルヲ以テ之ヲ略ス(, 略、, ○中, 京都ノ情報, 至ル, 安政五年三月十八日, 六九六

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  • ○三國大學・橋本左内・服部熊五郎等ノ書翰ハ、三月
  • 三日・同十四日ノ條下ニ掲グルヲ以テ之ヲ略ス(
  • 略、
  • ○中

頭注

  • 京都ノ情報
  • 至ル

  • 安政五年三月十八日

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  • 六九六

注記 (22)

  • 1382,635,66,2225面は此節嫌疑中にて取揚かたしと、手にも觸れさる故、御附武家もせんかたなくて一ト通
  • 1498,633,65,2231後は事の遷延ニ堪兼、始末の事情を書取て、御附武家を以傳奏衆へ指出せしに、かゝる書
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