『大日本維新史料 編年之部』 3編 7 安政5年5月11日~5月晦日 p.753

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されなは挽囘の一助になりもやせん、猶備中の意衷をも問ひ聞くへけれと、返す〳〵も伊, められんに決せりと覺えたりと、御歸殿の上の御大息大方ならす、西城の事已に決せられ, さまに妄語せる、天を欺かんとするにやと御憂悶御憤怒限りなし、, て御發表ともなりなんには、爲んすへもなけれは如何にもして決せられぬやうにこそあ, 賀の腹黒きこそいと惡くけれ、顏色の變る計りの際になりても、刑部卿殿の事を主張する, 故、今日被進御内書、如左、, 見えす、まして西城の御事は其機近きにありて、伊賀の顏色の變りたるにても、南紀に定, らまほしけれ、此上は尾張殿と謀りて、彼人より刑部卿殿ならては適ひ難き旨を、嚴敷申, 台慮といひ、奧向にも指支へて胸苦敷候之と申されて、一ツとして取留たる覺悟ありとも, 一、此夕、岩瀬肥州ゟ左内へ投書あり、如左、, 五月廿八日、尾張殿へ近日之内御出被成度と被仰入しに、御所勞の由にて御斷りありし, ○中, 略, ○中, 略、, ○五月二十七日附、目付岩瀬忠震福井藩士橋, 本左内宛書翰、上ニ掲グルヲ以テ、之ヲ略ス〓, ○五月二十八日附、福井藩主松平慶永名古屋藩主, 徳川慶恕宛書翰、上ニ掲グルヲ以テ、之ヲ略ス。, ○中, 略、, 略, 安政五年五月二十八日, 七五三

割注

  • ○五月二十七日附、目付岩瀬忠震福井藩士橋
  • 本左内宛書翰、上ニ掲グルヲ以テ、之ヲ略ス〓
  • ○五月二十八日附、福井藩主松平慶永名古屋藩主
  • 徳川慶恕宛書翰、上ニ掲グルヲ以テ、之ヲ略ス。
  • ○中
  • 略、

  • 安政五年五月二十八日

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  • 七五三

注記 (24)

  • 1315,623,75,2212されなは挽囘の一助になりもやせん、猶備中の意衷をも問ひ聞くへけれと、返す〳〵も伊
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