『大日本近世史料』 細川家史料 21 細川忠利文書十四 p.307

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三八四三十一月六日細野爲景母宛書状, 御そく女に御あひなされたきよし、何らやすき御事候、國の女房乃之いて候切手、國へつか, 尚々、大坂り臼候舟は參合候哉、無御心元候、いまた手ふるい候て判形難成、むさ, 共參、ゆる〳〵と心鰛之養生可仕田被仰出、去十六日ニ鎌倉へ罷越、忝儀共御座候、其, 元御用之事候はゝ、〓崎ニ杉山藤兵衞と中者R口置候間、可被仰付候、猶追る可中入候、恐, と仕躰ニ候、もはや鎌倉も寒罷成候間、頓に江戸へ可罷歸と存候、以上, 惶謹言, 十月廿八日, 川勝丹波樣, 人々御中, (制後大分郡, へノ船ハ間二, 鎌倉寒クナラ, 合ヒタルカ, 大坂ヨリ豐前, 細野爲景母鳥, バ歸府セム, 女へノ對面ヲ, 寛永十四年十一月(三八四三), 三〇七

頭注

  • へノ船ハ間二
  • 鎌倉寒クナラ
  • 合ヒタルカ
  • 大坂ヨリ豐前
  • 細野爲景母鳥
  • バ歸府セム
  • 女へノ對面ヲ

  • 寛永十四年十一月(三八四三)

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  • 三〇七

注記 (20)

  • 262,362,38,741三八四三十一月六日細野爲景母宛書状
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