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葉の抄とに引出たる所々のみそ世にのこれる、是ことに古學の用なり云云、○壺井義知、, 此亂世に我國の重寶記録等大半滅盡したり、此に依て風土記も失て侍りしを、その後此, 勢・豐後これに次、餘は諸書に引證する所の遺文をあつめて好古の志のために篇をなす, ろの本は傳へ聞、出雲の國造の文庫にあるところと、因て全きをもつて篇首とす、伊, 彼より捜出して漸十卷あまりにおよふといへとも、その殘りは終に見え來らす云々、○, るものは出雲のみ、流布の本ありといへとも、傳寫の誤をまぬかれす、今書寫すると」, 風土記といふ書、本朝の縁起なり、されは此記は六十六卷あつて六十六箇國に配當あり、, し事あきらかなり、書目に、事扶桑略記に見えたり、と書するといへとも、載るところ, 亂は、洛陽におゐてはけみあひ、東夷西戎こみ入て其勢殆卅萬騎に及へり云云、されは, しかるに元弘・建武より〓來、騷亂たひ〳〵怠る間なし、就中後土御門院應仁文明の大, 昔傳拾葉に曰、我日本の國々の來由をしれる人も世に稀なり、これいかんとなれは、彼, 新井君美、鹽社考云、元明和銅六年勅京畿七道諸國撰風土記、天平初書成奏上、而其, のみ云云、○本居宣長曰、諸國の風土記なともみな傳はらさるに、釋日本紀と仙覺か萬, の風土記の殘篇もまた失へり、惜哉傳はらさること、仰て嘆すへし、今たま〳〵全部す, 所謂殘編、載多賀城碑事、碑者天平寶字六年十二月鎭守將軍藤原惠美朝臣朝獵所建、相, 新井君美, 壺井義知, 仙覽, 本居宣長, 鹽社考, 昔傳拾葉, 編脩地誌備用典籍解題卷之一, 一五八
頭注
- 新井君美
- 壺井義知
- 仙覽
- 本居宣長
- 鹽社考
- 昔傳拾葉
柱
- 編脩地誌備用典籍解題卷之一
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- 一五八
注記 (23)
- 1081,709,59,2247葉の抄とに引出たる所々のみそ世にのこれる、是ことに古學の用なり云云、○壺井義知、
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