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冑弓矢をそへ奉納あり、, の浦々とひとしく開けしことなるへし、伊豆國は上古より罪人を配せらるゝの地なれは、, アヲ力島と唱ふ、彼鬼島の名に對してや、鍾馗を祭り氏神とす、爲朝も渡りけるにや、, され小角か住ける岩窟泉津村に在、今は行者堂と稱し參詣する所となれりといふ、次に, に大島、孝安帝の御宇に開けし由云傳ふれと、此島は國を去事僅に七八里なれは、伊豆, にて、古瓦石くれのやうなる物の表に座像の辨財天十五童子を彫り、裏に手を押入たる, 此邊にも往古より配流の人ありしなるへし、正しくは文武天皇元年に、役小角此島へ流, 寺社奉行所より御返ありし時、錦の御戸帳一垂神影包抔下され、神主へは白銀を下しお, 古跡あり、又空海の作れる辨財天を安置せり、社あり、長一尺餘、幅七寸程、厚一寸餘, かれしよしを記、次に青ケ島、此島往古は鬼島といひしを、いつの比よりか青島といふ、, 東照宮御在世慶長七壬寅年命を下し、島役人奧山縫殿助施主としてふたゝひ神影を造ら, 壹岐か祖父菊池虎之助といふもの奉守江戸へ出しに、神影御城に留おかせられ、追て, 跡あり、指の小筋まてあさやかに見ゆ、その指形の内に彫刻の文字圖にあらはせり、次, せ甲冑をそえ奉納させられしよし、正徳元卯年上よりゆるさせけるにや、今の神主菊油, 二宅島、この島も孝安天皇の御宇に開けしといひ傳ふ、この島より七里はかり隔り、御, 青ケ島, 大島, 三宅島, 編脩地誌備用典籍解題卷之十, 三〇
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- 青ケ島
- 大島
- 三宅島
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- 編脩地誌備用典籍解題卷之十
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- 三〇
注記 (20)
- 1774,763,56,591冑弓矢をそへ奉納あり、
- 509,776,57,2272の浦々とひとしく開けしことなるへし、伊豆國は上古より罪人を配せらるゝの地なれは、
- 1083,776,58,2207アヲ力島と唱ふ、彼鬼島の名に對してや、鍾馗を祭り氏神とす、爲朝も渡りけるにや、
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