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事考る處、當時村高千石は小田原檢地大〓永樂百貫文に相當る哉、千石百貫をもつて新, 之内、郡村不分明之分當時といにしへと變地の村里あらまし考へしるし畢といへり、, 北條分限帳郡村略考一卷, 西郡としるすは多磨郡の内西の方、高麗郡・比企郡、東のちゝふ根の村々なり、今も入, 總の郡村くわしく不記分は敵地他領等の故かといふ、また武藏國廿一郡、相摸國八郡, 西筋といふ、多磨郡をわけて多西・多東なと云事、俚語に殘れりといふ、又永百貫文の, 國界郡境の事、其大〓圖をもつてしめす、又相州中郡としるし見ゆるは餘綾・愛甲, 大住三郡、東郡は鎌倉・三浦の兩郡、西郡は足柄上下の郡也といふ、又武州の郡村に入, 未二月十一曰、奉行太田豐後守、關兵部丞、松田筑前守と書せり、奧書に、此本帳者高, 五世宥相と記す、この元本左京太夫氏直高野山へ入し時、たつさへ行し所なりと云、, 田澤義章撰、義章稱源太郎、武藏稻毛菅生村人、元文二年の奥書に、右者北條分限帳面, 分限帳武州郡村の内、相州八郡の内およひ豆州・上州下, 殿・大和殿, 野山高室院に有之、元祿五壬申天正月曰書寫之畢、武州豐島郡若一王子宮別當金輪寺第, 小笠原六郎殿・同孫六殿・奧津殿等の名見へたり、終に永祿二年己, 此分限帳首に小田原衆所領役帳と題す、, 分限帳とは後人の妄に題せしところ也、, 寫本, 部少輔, 大和兵, 一册, 元祿五年有相, 内郡村不分明, 元文二年奥書, 北條分限帳ノ, 田澤義章撰, ノ分等ヲ考證, 書寫, 永祿二年ノ作, 別紀第七(相摸), 六三
割注
- 此分限帳首に小田原衆所領役帳と題す、
- 分限帳とは後人の妄に題せしところ也、
- 寫本
- 部少輔
- 大和兵
- 一册
頭注
- 元祿五年有相
- 内郡村不分明
- 元文二年奥書
- 北條分限帳ノ
- 田澤義章撰
- ノ分等ヲ考證
- 書寫
- 永祿二年ノ作
柱
- 別紀第七(相摸)
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- 六三
注記 (31)
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