『大日本近世史料』 編脩地誌備用典籍解題 3 p.198

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り中川まて一鋪、北本所、大川より横川南割下水まて一鋪、北本所、大川より横川・石原・北, しといへとも、明和以前の圖、往々昌平橋を相逢橋としるし、水道橋を吉祥寺橋としる, 川之圖一鋪、書肆出雲寺和泉か藏板にして筆傭南美原應子感としるせり、同十一年刻す, 割下水まて一鋪、北本所、横川より龜戸邊まて一鋪、深川八幡・洲崎邊より佃邊まて一鋪、, 敷・寺社共御年貢地・渡・屋敷等各雌黄を分て著色せり、この圖年代のかむこふへきな, し、ドントン橋を仙臺橋としるせるものあり、この圖みな今の唱ふる所をもちひ、一も, る所、圖傍に鹽滿干の圖を附刻す、駿河臺小川町之圖一鋪、爲質撰、明和元年刻する所、, 各鋪四隅にイロハをもて標幟とし、衆圖の附貼にそなふ、又土手・堀川・道・寺社・〓, 古名の存せるものなし、且聖堂仰高門の方を鳳閣寺としるせるの類をもつて見れは、」, 番町之繪圖一鋪、瀬貞雄・依爲質上撰、貞雄は狐汗と號し、爲質は鼈峰と號す、寶暦五, の圖は明和以後寛政以前のものたる事うたかひなし、, 江戸割繪圖八鋪刻, 年刻する處、同二年漢字の序あり、永田町繪圖一鋪、貞雄撰、同九年刻する所、本所深, 假名の序あり、下谷淺草繪圖一鋪、貞雄およひ吉田如流同撰、同四年刻する所、濱町神, 寶暦二年ヨリ, 安永四年ノ間, 以前ノモノナ, 明和以後寛政, 瀬名貞雄等撰, ルベシ, 編脩地誌備用典籍解題卷之十二, 一九八

頭注

  • 寶暦二年ヨリ
  • 安永四年ノ間
  • 以前ノモノナ
  • 明和以後寛政
  • 瀬名貞雄等撰
  • ルベシ

  • 編脩地誌備用典籍解題卷之十二

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  • 一九八

注記 (22)

  • 1804,757,64,2239り中川まて一鋪、北本所、大川より横川南割下水まて一鋪、北本所、大川より横川・石原・北
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