『大日本近世史料』 編脩地誌備用典籍解題 4 p.67

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千百餘村としるせり、, 一鋪は圖旁に題して越後國河通領分書分繪圖といふ、この圖、連圈をもつて郡界を分つ, 等え里數おの〳〵何里、また黒川より加治・村上・關・雲母・乙・桃崎等各所えの里, 分・知行の類を辨別す、圖傍に新發田及新潟より所々えの道程を載せ、また闔國の村數, 事しるへし、東瀧谷山を限り、西海を限り、南與板を限り、北加治川を限り、圖中すへ, て郡界郡名をのせす、村々著色の標幟をもつて御代官所御預り所・御朱印地およひ領, の接界を區別するものなし、故にもし郡堺區別の考索においては亦窮すといふへし、, 一鋪は當國沼垂郡濁川新田近藤甚助か撰する所、年代を詳にせず、按するに、當國もと, 數凡四百六拾ヶ村としるせり、按るに、この圖何のゆゑにや、全圖その郡名を記してそ, 八郡なりしか、後沼垂は蒲原に屬してその名廢す、こゝに沼垂としるすときは古圖たる, 領分・某御預り所庄内領等の分別を表せり、また村上より鼠ケ關・耕雲寺・三面・雲母, 數、また加治より乙・管谷・仁王子・雲母・藤塚濱・海老江等各所えの道程を記し、村, 陵はその形勢を圖す、圖傍に著色の標幟をあらはし、某領分・某知行所・某御支配所御, 越後國圖二鋪, 別セズ, 近藤甚助撰, 年代ヲ詳ニセ, シテ接界ヲ區, 全圖郡名ヲ記, 越後國河通の, 分書分繪圖, ズ, 別紀第十四(越後), 六七

頭注

  • 別セズ
  • 近藤甚助撰
  • 年代ヲ詳ニセ
  • シテ接界ヲ區
  • 全圖郡名ヲ記
  • 越後國河通の
  • 分書分繪圖

  • 別紀第十四(越後)

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  • 六七

注記 (24)

  • 406,715,55,534千百餘村としるせり、
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