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とて、彼書のたのみなきをはしめてしりぬと云、橘寺にゆかんとするみち、松五六本生, 保しるすと、又享和元年辛酉吉澤好道寫と記たり、, 近習者生なから埋たるに、數日不死泣吟といへる事をあやまりたるにや、大和志に倭彦, 間の事をあら〳〵しるし、大和は長瀬・三本松・招提寺まての舊跡をしるす、宇多・式, 大和志に高塚と云處にあるよし書たれと、塚とおほしき地さらになし、高塚某か城跡也, んとて、ともにのほりける時しるしたる記なり、三月廿日家を出けるより伊勢・伊賀の, みもひと記し、又寛政七年乙卯八月うつしぬ、原本かな誤りあり、そのまゝに寫しぬ、, たる塚有を里人は武烈天皇の御陵とも又王の墓ともいひ、天皇の御しわさのいとあしく, にいへるは實よき考也といふ、四月二日河内にいたりたる事をしるしたれとも、河内の, 命の御墓としるしたるはよしといふ、綏靖塚、こは神武の御陵ならんとすかゝきの日記, おはしましゝかは、生なからこゝに埋奉る所なりといへとも、思にこは倭彦命の陵域に, 上・十市・高市・廣瀬・山邊・添上・添下八郡の間のみ、皇太后紀氏の御陵、並河永か, 事はしるさす、此本卷末荒木田久老神主大和〓行の記なり、寛政三年亥春寫しぬ、信濃, 本居氏の素鵞賀佐日記とならへて大和くぬちの名たゝる所々を考しるへき便也、ほつみ, 寛政三年奥書, 享和元年吉澤, 好道寫, 天皇陵ノ考, 編脩地誌備用典籍解題卷之二十五, 二八八
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- 寛政三年奥書
- 享和元年吉澤
- 好道寫
- 天皇陵ノ考
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- 編脩地誌備用典籍解題卷之二十五
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- 二八八
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