『大日本近世史料』 編脩地誌備用典籍解題 6 p.99

Loading…

要素

ノンブル

OCR テキスト

徳廟之旨云といへり、, を宣府と云、遼東の東北より朝鮮の北まて居る夷を女直と云、遼東の西北より北京宣府, 居る夷を蒙古と云、是西韃子なりとしるせり、明朝第二代成祖皇帝永樂元年勅使を遣し, を切取て、中國の手にあまる事に成行たる始末を書載たり、北京の東を遼東と云、西北, て、奴兒干の野人女直を招諭して來朝せしめしより、十七代思宗皇帝崇禎十七年明亡、, の東まての間に居る夷を兀良哈と云、何れも東韃子なり、宣府の北より西域まての間に, 徳廟曾命博士物觀記建州始末、稾不日而成、質諸徂徠先生、先生一見曰、有未盡事情也、, 韃子の末になりて女直の種類を一統して、兀良哈・蒙古迄を從へて手に入れ、遂に遼東, 建州へ一統したる事に終る、跋に, 塗抹改〓以授之、觀喜以爲始得眞面目、乃淨書以進之、大〓, 異國紀下(韃而靼), 九九

  • 異國紀下(韃而靼)

ノンブル

  • 九九

注記 (12)

  • 880,699,52,535徳廟之旨云といへり、
  • 1679,694,59,2259を宣府と云、遼東の東北より朝鮮の北まて居る夷を女直と云、遼東の西北より北京宣府
  • 1450,691,57,2257居る夷を蒙古と云、是西韃子なりとしるせり、明朝第二代成祖皇帝永樂元年勅使を遣し
  • 1792,697,59,2256を切取て、中國の手にあまる事に成行たる始末を書載たり、北京の東を遼東と云、西北
  • 1335,700,58,2214て、奴兒干の野人女直を招諭して來朝せしめしより、十七代思宗皇帝崇禎十七年明亡、
  • 1565,699,58,2247の東まての間に居る夷を兀良哈と云、何れも東韃子なり、宣府の北より西域まての間に
  • 1105,696,59,2271徳廟曾命博士物觀記建州始末、稾不日而成、質諸徂徠先生、先生一見曰、有未盡事情也、
  • 1906,692,60,2260韃子の末になりて女直の種類を一統して、兀良哈・蒙古迄を從へて手に入れ、遂に遼東
  • 1221,697,57,859建州へ一統したる事に終る、跋に
  • 991,699,58,1558塗抹改〓以授之、觀喜以爲始得眞面目、乃淨書以進之、大〓
  • 173,874,49,408異國紀下(韃而靼)
  • 175,2465,40,77九九

類似アイテム