『維新史』 維新史 1 p.469

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松前家に交附した。, り施藥・道路開鑿・會所の直營・産業興隆等に著手し、其の理想としては羽太正養, 正月に至つては幕府は, りでなく、警衞に就いても、寛政九年九月津輕藩に、以來松前箱館に人數を配り置, 府内部に於いても專任者を設けることとなり、寛政十年十二月書院番頭松平忠, 下附し、八月に至つては更に上知を廣め、代地として武藏埼玉郡久喜町五千石を, 幕府の用地と爲し、其の地より松前家が從來收納した額に對しては特に金子を, くべき旨を達したので、同藩は五百人を箱館に駐在せしめ、南部藩は特に松前御, 地一圓盡く本邦の如くなるを期する」にあつた。從つて幕吏の任命せられるも, の「休明光記」にあるが如く「衆人を以て堅城砦と爲すを要務とし「百年の後蝦夷, 直轄地の施政は、從前松前藩の蝦夷に對する苛政方針を改め、衣食住の手當よ, に蝦夷地御用掛を命じた。翌寛政十一年, 用掛を設けて警衞に當らしめた。かくて蝦夷地に幕吏を遣すに止まつたが、幕, 松前領内東蝦夷地の内南方浦河より北方知床を限り、其の餘島々まで七箇年間, 擇捉島丹根萌に大日本惠登呂府の木標を建てたのは此の時である。巡檢ばか, 明, 信濃, 西暦一七, 九九年, 庄, 衞, 守, 左, 門, 東蝦夷地, 一部上知, 第二章外警と國民の覺醒第一節蛾夷地經營と國策の一變, 四七一

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  • 信濃
  • 西暦一七
  • 九九年

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  • 東蝦夷地
  • 一部上知

  • 第二章外警と國民の覺醒第一節蛾夷地經營と國策の一變

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  • 四七一

注記 (28)

  • 830,569,54,534松前家に交附した。
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  • 1620,560,63,2271くべき旨を達したので、同藩は五百人を箱館に駐在せしめ、南部藩は特に松前御
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