『維新史』 維新史 2 p.374

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のである。處士横議の第一人者としては、先づ以て星巖を擧ぐべきであらう。, が、天保十四年二十九歳の時に京都に移つて望楠軒に教授し、又屡〻藩政及び外寇, 攘思想は星巖によつて頓に鼓吹せられたと稱しても過言ではなかつた。從つ, て諸藩の有志にして京都を過ぎる者は何れも星巖の門を叩き、大名の京都手入, を源次郎、諱を定明と云ひ、文化十二年六月七日若狹小濱藩士の家に生れた。天, れるに至つた。既にして米艦渡來するや、江戸に馳せて同志と對策を協議し、更, 保元年江戸に上つて闇齋學派の藩儒山口菅山に學び、後、大津に湖南塾を開いた, 宮を始めとして、鷹司政通・九條尚忠・三條實萬・中山忠能等にも建言するに至つた, も亦多くは星巖の斡旋に俟つといふ状であつた。されば條約勅許問題が起る, 星巖に次いで、京都に於ける志士の有力者は梅田雲濱であつた。雲濱は通稱, 防禦の問題を藩主酒井忠義に建言した爲に、却つて其の忌諱に觸れ、士籍を除か, に及んでは、星巖は〓りに下田・箱館二港の閉鎖と攘夷の決行とを論じ、豫て親交, に水戸・福井に遊説を試み、露艦大坂灣に進入するや、撃攘策を構ずる所があつた。, のあつた久我家諸大夫春日潛庵, を經て之を久我建通に入説し、更に青蓮院, 仲襄, 讚岐守, 梅田雲濱, 第五編朝幕の乖離, 三七四

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  • 仲襄
  • 讚岐守

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  • 梅田雲濱

  • 第五編朝幕の乖離

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  • 三七四

注記 (20)

  • 1053,557,76,2225のである。處士横議の第一人者としては、先づ以て星巖を擧ぐべきであらう。
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  • 1734,562,79,2269攘思想は星巖によつて頓に鼓吹せられたと稱しても過言ではなかつた。從つ
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  • 361,546,79,2275れるに至つた。既にして米艦渡來するや、江戸に馳せて同志と對策を協議し、更
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