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して、詳かに江戸の形勢と水戸の藩情とを偵察し、水戸藩士安島帶刀に面會して、, 迂濶日下部伊三次の如きものを京都に遣したことを詰つたが、帶刀は伊三次上, の時機でないと考へたものの如く、偶〻上京の途に就いた有村俊齋に託して、急ぎ, て水戸藩の實力を確める必要があつたので、八月二日京都を發し、七日江戸に著, て齊彬の遺志を繼承すべきであると説いたので、吉兵衞は歸國を見合せた。然, るに勅諚を水戸藩に賜る計畫の進められてゐることを聞いて、江戸の事情別し, 京の計畫には與らなかつたと答へてゐる。是の時吉兵衞は水戸への賜勅がそ, 薨去したので、一時は歸國して齊彬に殉じたいと迄も決心したが、月照等が生き, 自ら兵を率ゐて上京し、専ら國事に當らうと決心したのであつた。吉兵衞は六, ゐた。此の時島津齊彬が鹿兒島城南の練兵場に臨んで病を得、七月十六日俄に, 月十八日東上の途に就いで、七月十四日京都に入り、月照・梁川星巖, 日鹿兒島に歸つて、江戸の形勢を報告した。齊彬は時勢が容易でないと觀破し、, 菴, 當時西郷吉兵衞は、島津齊彬の旨を受けて國事の斡旋に當つてゐたが、六月七, 頼三樹三郎並びに長州藩士大樂源太郎等と會合して國事に奔走して, 春日潛, 新十郎, 仲襄, 讃岐守, 孟緯, 衞の觀察, 西郷吉兵, 第二章密勅の降下第一節水戸藩への勅諚, 五一九
割注
- 新十郎
- 仲襄
- 讃岐守
- 孟緯
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- 衞の觀察
- 西郷吉兵
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- 第二章密勅の降下第一節水戸藩への勅諚
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- 五一九
注記 (24)
- 694,567,72,2297して、詳かに江戸の形勢と水戸の藩情とを偵察し、水戸藩士安島帶刀に面會して、
- 581,566,72,2283迂濶日下部伊三次の如きものを京都に遣したことを詰つたが、帶刀は伊三次上
- 348,574,71,2272の時機でないと考へたものの如く、偶〻上京の途に就いた有村俊齋に託して、急ぎ
- 809,566,70,2287て水戸藩の實力を確める必要があつたので、八月二日京都を發し、七日江戸に著
- 1042,570,69,2276て齊彬の遺志を繼承すべきであると説いたので、吉兵衞は歸國を見合せた。然
- 925,567,71,2283るに勅諚を水戸藩に賜る計畫の進められてゐることを聞いて、江戸の事情別し
- 465,569,69,2277京の計畫には與らなかつたと答へてゐる。是の時吉兵衞は水戸への賜勅がそ
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- 1274,566,65,2278ゐた。此の時島津齊彬が鹿兒島城南の練兵場に臨んで病を得、七月十六日俄に
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- 1843,632,69,2209當時西郷吉兵衞は、島津齊彬の旨を受けて國事の斡旋に當つてゐたが、六月七
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