『維新史』 維新史 2 p.400

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年九月十六日には「蘭國別段風説書」を内呈した。これ一に忠熙の依頼に應じた, 尋いで養女敬子を忠熙の養女とな, ものであり、忠熙は之によつて海外の情勢に就き愈〻啓發せられたことを知るべ, きであらう。而して齊彬襲封の後は、外船の渡來盆〻〓繁を加へて、遂に米使ペリ, ーの來航となるや、齊彬は書を忠熙に送つて、大船建造のことは由來禁制なるも, て、將た又琉球との關係よりして、外國の衝動を受くること甚だ大に、從つて齊彬, の猶子として日向島津莊の下司職に補せられたのに發し、爾來江戸幕末時代の, つて更に親密の度を加へたことを知るべきである。, 忠熙の女信姫と婚約を結ばしめ, 弘化・嘉永の交、外警漸く世上に問題となるや、薩州藩は其の地理的事情よりし, 日忠熙に「海上炮術全書」を贈ると共に、琉球に於ける外國船の近状をも報じ、翌三, も亦夙に海外の情勢に關心を有してゐた。斯くて齊彬は嘉永二年十一月十二, の父齊興は養女郁子を右大臣近衞忠熙に嫁せしめ、齊彬亦嫡子虎壽丸をして, して、將軍家定の御臺所たらしめた。島津家と近衞家との關係が、齊彬の代に入, 齊彬に至る迄、兩家は實に六百有餘年の宿縁を有してゐたのであつた。即ち齊, より遂に止む, 虎壽丸の夭折に, の外交意, 見入説, 島津齊彬, 第五編朝幕の乖離, 四〇〇

割注

  • より遂に止む
  • 虎壽丸の夭折に

頭注

  • の外交意
  • 見入説
  • 島津齊彬

  • 第五編朝幕の乖離

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  • 四〇〇

注記 (22)

  • 599,581,76,2281年九月十六日には「蘭國別段風説書」を内呈した。これ一に忠熙の依頼に應じた
  • 1401,1876,61,991尋いで養女敬子を忠熙の養女とな
  • 485,584,73,2268ものであり、忠熙は之によつて海外の情勢に就き愈〻啓發せられたことを知るべ
  • 367,585,76,2273きであらう。而して齊彬襲封の後は、外船の渡來盆〻〓繁を加へて、遂に米使ペリ
  • 256,582,74,2286ーの來航となるや、齊彬は書を忠熙に送つて、大船建造のことは由來禁制なるも
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