Loading…
要素
頭注ノンブル
OCR テキスト
二島津久光の離京, 州藩の協力を得て、愈〻決行の段階に入つたのである。, 長藩要路列座の上、豐範に前日拜受せる勅旨を示し、二藩協力して尊攘の大義に, が長州藩に下つた翌日、即ち二十八日には、在京中の土州藩主山内豐範は大目付, 小南五郎右衞門等を隨へて河原町の長州藩邸に到り、慶親に對面した。慶親は, 絡して活躍してゐたので、長土兩藩の提携は自然緊密となり、攘夷御嘉納の勅旨, 任ぜんことを議定した。茲に於いて長州藩の尊王攘夷論は、朝議の容認を經、土, つた。然るに京都の情勢は意外にも出發當時とは全く變つてゐた。天誅は續, 島津久光が大原勅使護衞の使命を果して歸京したのは閏八月七日の事であ, 當時武市瑞山等の土州藩志士は、久坂玄瑞等の長州藩急進派と〓繁に往復連, 發して所謂四奸二嬪排斥運動となり、尊攘激徒の暗躍は京洛の空氣を激しく攪, 後八月, 在候事。, 後八月(久邇宮家文書), (久邇宮家文書), の入京と, 島津久光, 二藩の提, 形勢の一, 携, 長州土州, 變, 第十編朝權の確立, 二七〇
頭注
- の入京と
- 島津久光
- 二藩の提
- 形勢の一
- 携
- 長州土州
- 變
柱
- 第十編朝權の確立
ノンブル
- 二七〇
注記 (24)
- 588,970,60,588二島津久光の離京
- 826,564,66,1505州藩の協力を得て、愈〻決行の段階に入つたのである。
- 1048,562,78,2299長藩要路列座の上、豐範に前日拜受せる勅旨を示し、二藩協力して尊攘の大義に
- 1285,566,77,2302が長州藩に下つた翌日、即ち二十八日には、在京中の土州藩主山内豐範は大目付
- 1165,565,81,2296小南五郎右衞門等を隨へて河原町の長州藩邸に到り、慶親に對面した。慶親は
- 1400,567,82,2302絡して活躍してゐたので、長土兩藩の提携は自然緊密となり、攘夷御嘉納の勅旨
- 933,560,75,2300任ぜんことを議定した。茲に於いて長州藩の尊王攘夷論は、朝議の容認を經、土
- 333,561,76,2300つた。然るに京都の情勢は意外にも出發當時とは全く變つてゐた。天誅は續
- 452,621,75,2231島津久光が大原勅使護衞の使命を果して歸京したのは閏八月七日の事であ
- 1521,639,79,2229當時武市瑞山等の土州藩志士は、久坂玄瑞等の長州藩急進派と〓繁に往復連
- 216,556,75,2302發して所謂四奸二嬪排斥運動となり、尊攘激徒の暗躍は京洛の空氣を激しく攪
- 1666,774,57,184後八月
- 1786,642,56,201在候事。
- 1649,777,72,2044後八月(久邇宮家文書)
- 1651,2437,51,384(久邇宮家文書)
- 419,298,42,165の入京と
- 463,296,43,169島津久光
- 1531,312,46,166二藩の提
- 372,296,43,157形勢の一
- 1492,307,40,42携
- 1579,310,41,167長州土州
- 327,294,43,40變
- 1900,729,47,474第十編朝權の確立
- 1884,2385,43,124二七〇







