『維新史』 維新史 3 p.375

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國論を誘導したものは實に長州藩であつた。, も亦上京した。正に長州藩は闔藩, 定廣より歸藩の勅許を請うてゐたが、七日勅諚あつて、慶親の歸國を許され、定廣, 乞の爲め參内、小御所に於いて天顏を拜し、天盃並びに御劍を賜り、且つ任參議の, 拜し、御衣の御古を拜受し「蠻夷等之儀に付自然出陣等も有之節は、直垂・陣羽織之, 元蕃, 類に著用可有之」(防長囘天史)との厚き御沙汰を賜つた。尚去る二日慶親並びに, 御沙汰あらせられたが、この任命は先例を破つて幕府の推任手續を經てゐなか, つたので、慶親は一應拜辭したが、朝廷は拜辭を聽許あらせられなかつたのであ, を迎へ、翌二日に支藩長府藩主毛利元周, 次第は明かでない。今や攘夷は動かすべからざる國論となつた。而して此の, 段深く御滿足叡感あらせられ、國家の爲盡力の儀頼み思召さると、有難き勅諚を, 長州藩主毛利慶親並びに世子定廣は、共に京都にあつて文久三年癸亥の元旦, に對しては「乍苦勞在京盡力可有之」と仰せ下された。よつて慶親は十七日御暇, の力を此の地に集めた觀があつた。三日召によりて定廣は支藩徳山藩主毛利, を隨へて參内したが、天盃を拜受し、且つ攘夷の勅諚に就き、彼是周旋の, 淡路, 左京, 守, 亮, 活動, 長州藩の, 第十一編尊攘運動の展開, 三七六

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  • 淡路
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  • 活動
  • 長州藩の

  • 第十一編尊攘運動の展開

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  • 三七六

注記 (24)

  • 1636,548,61,1299國論を誘導したものは實に長州藩であつた。
  • 1389,1852,58,1016も亦上京した。正に長州藩は闔藩
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  • 436,560,65,2305乞の爲め參内、小御所に於いて天顏を拜し、天盃並びに御劍を賜り、且つ任參議の
  • 908,551,65,2315拜し、御衣の御古を拜受し「蠻夷等之儀に付自然出陣等も有之節は、直垂・陣羽織之
  • 1145,548,55,122元蕃
  • 790,553,65,2313類に著用可有之」(防長囘天史)との厚き御沙汰を賜つた。尚去る二日慶親並びに
  • 315,556,66,2313御沙汰あらせられたが、この任命は先例を破つて幕府の推任手續を經てゐなか
  • 198,565,67,2299つたので、慶親は一應拜辭したが、朝廷は拜辭を聽許あらせられなかつたのであ
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