『維新史』 維新史 3 p.651

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する者もあつた。, 薩長二藩に不限總て列侯一致に無之候ては、拒絶攘夷も難相成、實に御大事之, が行はれた時、攘夷派の諸侯は却つて長州藩を庇護し、公武合體運動に一抹の暗, 場合ニ候。何卒右邊を以被懸朝議、長門宰相父子之處者、御用も被爲在候節者、, 影を投じた。堂上の中にも薩會二藩の行動を心よからず思ひ、政變後「朝威ノ大, 杉齊憲は九月二十三日京都を去り、淺野茂王・藤堂高潔も亦十月に入つて何れも, 備を名として同じく歸國の暇を請ひ、十月十三日京都を發して西下した。又上, と記した。薩會二藩が長州藩の追討をすら計畫し、又公武合體派の諸侯の召命, 暇を請ひ、十月十一日京都を去つて鳥取に歸つた。又池田茂政は領内沿岸の警, 可被爲召と申樣之御沙汰被成下候はゞ、微臣共深難有恐入候。(官武通紀), つた。池田慶徳は九月八日自藩の防備・隣藩の救援・藩の内証を名として歸藩の, 攘夷派の諸侯は、政變後の政局の推移を慊らず思ひ、續々として歸藩するに至, 減呉々も長々歎息之至」(中山忠能日記)と嘆ずる者もあり、又中川宮の行動を批難, 歸國した。前尾州藩主徳川慶勝, は政變後上京を命ぜられ、八月晦日に入京, 第十二編公武合體運動の進展, 權大, 納言, 侯の歸藩, 攘夷派諸, 第十二編公武合體運動の進展, 六五二

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  • 六五二

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  • 974,558,56,464する者もあつた。
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