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と命じ給ひし事あり、耕雲齋の聲望は堂上の間に高かつたので、慶喜は京都に於, に下し、耕雲齋等の正義の徒を率ゐて、將軍に隨ひ入朝すべし, き、文久三年二月十三日には、將軍家茂も江戸を發して上京したのである。幕府, は水藩尊攘派の領袖として聞え、時恰も朝廷に於かせられても、特に内旨を水戸, とするは、前途當に暗澹たるものがあつたと言はなければならぬ。, ける活動の便を慮つて、之を隨行せしめることに決したのである。斯くて慶喜, て、松平容保・小笠原長行・山内豐信・松平慶永等の幕府首腦部も續々西上の途に就, 缺き、外に尊攘派勢力の風靡せる京都に於いて、至難なる公武間の交渉を行はん, は十二月十五日江戸を發し、上坂の豫定を變じて直ちに上京したが、是と前後し, の隨行を求めた。幕府亦耕雲齋に慶喜隨從を命じたので、耕雲齋は原市之進, は將軍の上洛を以て狂瀾を既倒に囘し、起死囘生の效果を齎すものと期待して, ゐたが、果して所期の如き功を收め得るであらうか。内に攘夷に對する定見を, 等を率ゐて扈從することとなつた。蓋し耕雲齋, 藩主徳川慶篤, 梅澤孫太郎亮・梶清次右衞門, 納言, 基, 權中, 信, 忠, 成, 第十編朝權の確立, 三一二
割注
- 納言
- 基
- 權中
- 信
- 忠
- 成
柱
- 第十編朝權の確立
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- 三一二
注記 (23)
- 1275,580,64,2309と命じ給ひし事あり、耕雲齋の聲望は堂上の間に高かつたので、慶喜は京都に於
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- 807,581,68,2308き、文久三年二月十三日には、將軍家茂も江戸を發して上京したのである。幕府
- 1514,584,69,2306は水藩尊攘派の領袖として聞え、時恰も朝廷に於かせられても、特に内旨を水戸
- 339,585,64,1910とするは、前途當に暗澹たるものがあつたと言はなければならぬ。
- 1157,581,65,2307ける活動の便を慮つて、之を隨行せしめることに決したのである。斯くて慶喜
- 923,585,68,2303て、松平容保・小笠原長行・山内豐信・松平慶永等の幕府首腦部も續々西上の途に就
- 455,581,68,2303缺き、外に尊攘派勢力の風靡せる京都に於いて、至難なる公武間の交渉を行はん
- 1041,584,64,2303は十二月十五日江戸を發し、上坂の豫定を變じて直ちに上京したが、是と前後し
- 1760,593,68,2230の隨行を求めた。幕府亦耕雲齋に慶喜隨從を命じたので、耕雲齋は原市之進
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- 573,588,67,2296ゐたが、果して所期の如き功を收め得るであらうか。内に攘夷に對する定見を
- 1635,1468,67,1423等を率ゐて扈從することとなつた。蓋し耕雲齋
- 1404,578,56,394藩主徳川慶篤
- 1646,579,70,807梅澤孫太郎亮・梶清次右衞門
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- 1885,2396,43,121三一二







