『維新史』 維新史 4 p.106

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

四武田耕雲齋等の處分, を定め、水戸藩主徳川慶篤弟松平昭徳を先鋒として東近江路を進ましめ、大溝藩, 等をして西近江路を警固せしめた。然るに耕雲齋の隊が越前路を取つたとの, かしめた。然るに耕雲齋等は、此の日加州藩に降伏したのである。, 十六日海津に著した。昭徳も東近江路より西近江路に移り、進んで越前山中の, 報を得たので、追討軍の主力を西近江路に移した。慶喜は十三日大津を出でて, 武田耕雲齋の隊が西上したとの報が京都に聞え、禁裏御守衞總督一橋慶喜は、, 新保に著した耕雲齋の隊は、十一日出陣の加州藩士に對し、敢て諸藩と戰ふ意, 垣・彦根・小濱・大野・鯖江・津・敦賀・丸岡・膳所仁正寺・郡山・白河・加納・小泉・宮・津・大聖寺等の, 追討の爲出陣することとなつた。又水戸・桑名・會津・加州・筑前・小田原・大溝・尾州・大, 諸藩も出兵を命ぜられた。慶喜は十二月四日大津に於いて軍議を催して軍略, 驛に陣した。而して十七日を以て總攻撃の日となし、諸藩に命じて各部署に就, 思はない故、通行を許されたしと請うたが、加州藩士は一橋慶喜應援の爲出陣し, 第十三編禁門の變及び第一囘征長の役, 齋等の降, 武田耕雲, 近畿に於, 伏, 軍の出陣, ける追討, 第十三編禁門の變及び第一囘征長の役, 一〇六

頭注

  • 齋等の降
  • 武田耕雲
  • 近畿に於
  • 軍の出陣
  • ける追討

  • 第十三編禁門の變及び第一囘征長の役

ノンブル

  • 一〇六

注記 (22)

  • 1600,989,55,725四武田耕雲齋等の處分
  • 1024,581,59,2283を定め、水戸藩主徳川慶篤弟松平昭徳を先鋒として東近江路を進ましめ、大溝藩
  • 908,574,57,2280等をして西近江路を警固せしめた。然るに耕雲齋の隊が越前路を取つたとの
  • 449,585,56,1883かしめた。然るに耕雲齋等は、此の日加州藩に降伏したのである。
  • 677,580,58,2276十六日海津に著した。昭徳も東近江路より西近江路に移り、進んで越前山中の
  • 793,578,58,2280報を得たので、追討軍の主力を西近江路に移した。慶喜は十三日大津を出でて
  • 1485,642,58,2230武田耕雲齋の隊が西上したとの報が京都に聞え、禁裏御守衞總督一橋慶喜は、
  • 333,641,58,2219新保に著した耕雲齋の隊は、十一日出陣の加州藩士に對し、敢て諸藩と戰ふ意
  • 1254,579,58,2278垣・彦根・小濱・大野・鯖江・津・敦賀・丸岡・膳所仁正寺・郡山・白河・加納・小泉・宮・津・大聖寺等の
  • 1370,579,57,2281追討の爲出陣することとなつた。又水戸・桑名・會津・加州・筑前・小田原・大溝・尾州・大
  • 1140,578,58,2282諸藩も出兵を命ぜられた。慶喜は十二月四日大津に於いて軍議を催して軍略
  • 563,578,59,2282驛に陣した。而して十七日を以て總攻撃の日となし、諸藩に命じて各部署に就
  • 213,582,59,2274思はない故、通行を許されたしと請うたが、加州藩士は一橋慶喜應援の爲出陣し
  • 1851,697,45,958第十三編禁門の變及び第一囘征長の役
  • 307,312,41,163齋等の降
  • 351,310,43,168武田耕雲
  • 1513,317,42,165近畿に於
  • 265,312,40,38
  • 1426,314,41,168軍の出陣
  • 1467,318,42,163ける追討
  • 1851,698,46,958第十三編禁門の變及び第一囘征長の役
  • 1850,2352,48,115一〇六

類似アイテム