『維新史』 維新史 4 p.606

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と、極力山陵の御再興を上申したのであつた。, 威の然らしむる所にして寔に聖代に相應しく、茲にも朝權伸張の跡を辿ること, に、その控と, を命じた。, 式など御火葬の形式も一切廢止せられ、又九輪の塔を建てられるのみの御陵を, の墨守されたる大喪及び御陵の制定に於いて、諸事復古の魁を見たことは、御稜, 山藩主松平信正, 朝議は山陵奉行の建言を採用せられて、翌三日山陵を古制に基いて泉山, 闔國の哀悼と大喪の準備との中に年も改つて慶應三年となつた。正月二日, 改めて、莊重に山陵を築造する古の制に復されることになつた。從來最も舊例, が出來るのである。二十三日御陵を後月輪東山陵と稱せらるること御治定あ, に命じ、又洛中の防火を水口藩主加藤明實, 造營することを布達せられた。即ち後光明天皇以後未だ殘存せる山頭の茶〓, して膳所藩主本多康穰, り、幕府は大喪當日の泉涌寺・般舟三昧院の警衞を、夫々篠山藩主青山忠敬, 斯くて諸般の準備も全く終つて、二十七日大喪の御儀は行はせられた。此の, ・龜, に, (國事要録), 泉涌寺, 書頭, 左京, 後圖, 能登, 境内, 主膳, 大夫, 千, 山陵, 後月輪東, 山陵再興, 大喪の儀, 第十六編王政復古の氣運, 六〇六

割注

  • 泉涌寺
  • 書頭
  • 左京
  • 後圖
  • 能登
  • 境内
  • 主膳
  • 大夫

頭注

  • 山陵
  • 後月輪東
  • 山陵再興
  • 大喪の儀

  • 第十六編王政復古の氣運

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  • 六〇六

注記 (34)

  • 1624,573,55,1274と、極力山陵の御再興を上申したのであつた。
  • 806,566,60,2281威の然らしむる所にして寔に聖代に相應しく、茲にも朝權伸張の跡を辿ること
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  • 1506,635,57,2216闔國の哀悼と大喪の準備との中に年も改つて慶應三年となつた。正月二日
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