『維新史』 維新史 4 p.741

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六日藩主淺野茂長の名を以て建白書を幕府に致したのである。其の文に曰く、, いて長州藩と評議決定したる出兵期日, 二藩の態度は確乎不動なるを以て斯かる危懼なき旨を答へ、更に經之並びに岩, 此の時既に長州藩では藝州藩の提言を容れ、出兵延期を決してゐたのである。, は十月三日土州藩が大政奉還建白書を幕府に提出した。從つて藝州藩は十月, 斯くの如く薩州・長州・藝州三藩の擧兵計畫が齟齬せる間に、一方京都に於いて, も吉之助・一藏等の擧兵討幕派に反對するものがあり、爲に曩に一藏が山口に於, 兵庫開鎖、防長處置之儀ハ、既ニ御布告之趣も御座候得ハ、別段建議可仕儀も無, のである。斯くて薩州藩の兵船は十月六日に至つて漸く三田尻に來航したが, 倉具視と王政復古遂行の方略を謀議したのであつた。然るに薩州藩に於いて, 御座、兼而再三申出仕候通り、一日も速ニ當然之御裁斷可被爲在筈と、只管企望, に至つても、薩州藩の兵船は三田, 尻に到著しなかつた。因つて長州藩士も亦薩州藩の態度を疑懼するに至つた, 慮に堪へざる旨を述べ、警戒を要すべしと告げた。一藏はこれに對し薩州・長州, は大久保一藏を召見し、辻將曹の穩健論並びに藝州藩の態度優柔不斷にして憂, 九月二十, 五六日頃, 延期, 薩長擧兵, 之の憂慮, 中御門經, 第二章徳川慶喜の大政奉還第二節土藝二藩の大政奉還建白, 七四一

割注

  • 九月二十
  • 五六日頃

頭注

  • 延期
  • 薩長擧兵
  • 之の憂慮
  • 中御門經

  • 第二章徳川慶喜の大政奉還第二節土藝二藩の大政奉還建白

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  • 七四一

注記 (23)

  • 587,582,72,2286六日藩主淺野茂長の名を以て建白書を幕府に致したのである。其の文に曰く、
  • 1291,584,61,1120いて長州藩と評議決定したる出兵期日
  • 1641,574,71,2269二藩の態度は確乎不動なるを以て斯かる危懼なき旨を答へ、更に經之並びに岩
  • 938,575,72,2231此の時既に長州藩では藝州藩の提言を容れ、出兵延期を決してゐたのである。
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