『維新史』 維新史 5 p.606

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甚三郎譯の「, 育界の本流より影を潛めるに至つたのである。, 來洋學研鑽の府たる大學南校・大學東校のみが榮ゆることとなつたのである。, 是より先、京都に於いては皇學所・漢學所の廢止以來、其の再興を望むものが, 然るに一方洋學の興隆發展は實に驚異に値するものがあつた。政府も亦, 新に學校を興して藩士に泰西の新知識を授けるものが多かつた。又民間に, 夙に此の間の趨勢を察し、洋學者を多數登用して、學制調査に當らしめ、歐米の, る大學本校の閉鎖に遲れること僅かに旬日餘にして、三年七月二十五日には, 制度に基ける新教育制度を樹立せんと計つた。内田正雄譯の「和蘭學制『小幡, 多く、遂に二年十二月には大學校代が設けられて、加藤有隣・岡本經春・山田有年・, 楠本碩水等が教官に任じ、和漢の學を講ずることとなつた。而も東京に於け, に至つた。皇道・國學を以て教學の中心たらしめるの議は、茲に全く頓挫し、爾, 大學校代は重ねて廢止となり、國學・漢學は東西略〻時を同じうして、暫く我が教, であらう。更に此の風潮に乘じて、諸藩に於いては從來の藩校を改革し、或は, 學校軌範」等が刊行せられたことも、一に時勢の要求とみるべき, 洋, 西, 廢止, 京都大學, 洋學の隆, 校代の開, 設と其の, 盛, 第三章學制及び兵制の創始第一節皇學所及び大學校の開〓, 第一節皇學所及び大學校の開一, 六〇九

割注

  • 西

頭注

  • 廢止
  • 京都大學
  • 洋學の隆
  • 校代の開
  • 設と其の

  • 第三章學制及び兵制の創始第一節皇學所及び大學校の開〓
  • 第一節皇學所及び大學校の開一

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  • 六〇九

注記 (26)

  • 570,537,60,351甚三郎譯の「
  • 1027,541,63,1426育界の本流より影を潛めるに至つたのである。
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  • 687,539,70,2328制度に基ける新教育制度を樹立せんと計つた。内田正雄譯の「和蘭學制『小幡
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