『維新史』 維新史 5 p.596

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操等は輔相岩倉具視に一書を呈し、, はなく、例へば「皇學・漢學共ニ互ニ是非ヲ爭ヒ、固我之偏執不可有之事」の一項が, られたのに反し、皇學所の開設は遙かに遲れ、漸く十二月十四日に至り、前攝政, 處、分立仕候而は、彼は彼か意見を用ひ、我指揮に隨ひ不申、朋黨出來、爭論紛起, 後は學習院をも併せ、儒者多少とも皇道之大意は心得さすとの御事に伺候, 官中の漢學寮に無御座候ては難相稱、最初被仰出候御趣意は、學校御出來之, 特に掲げられた程であつた。漢學所が梶井宮邸を校舍として直ちに開講せ, 仔細に考へれば、玄道等の意見の悉くが採擇せられて學則の發布を見たので, 仕候事、目前に御座候。教誨より爭論盛に成り候て、故障不絶、御布告之御撼, 二條齊敬邸を校舍として開講せられたのは、設立に關する當局の態度が容易, 大學官大學寮別々に被爲立候事、條理不立と申者に御座候。是非此は大學, に決定を見なかつたが爲であると見るべきであらう。故に此の年七月、玉松, 意には背〓可仕候。, と述べて、政府の再考を促すところがあつたが、皇學所が漢學所と併立して設, 意には背〓可仕候。(岩倉具視關係文畫, (岩倉具視關係文書), 皇漢兩學, 派の軋轢, 第三章學制及び兵制の創始第一節皇學所及び大學校の開設, 五九九

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  • 皇漢兩學
  • 派の軋轢

  • 第三章學制及び兵制の創始第一節皇學所及び大學校の開設

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  • 五九九

注記 (20)

  • 1119,539,77,1067操等は輔相岩倉具視に一書を呈し、
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