『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 2 訳1上1633年08月-1634年04月 p.248

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である。しかし、ポルトガル人は日本貿易を續けたいので、これらの苦難を辛抱強く堪えなく, は、時のたつとともに我々の取引についてもポルトガル人のそれと同樣、次第次第に、外國か, ば、それがひとつの良い手段であるに違いない、と考える。ところが、敏捷な日本人の貪慾さ, ず、それでもなお上記の責苦は決して減少せず、むしろ時とともに増大させられたのである。, てはならない。しかも、この人々は凡ゆる友情と好意をかち得る知慧を有したにもかかわら, ら日本に齎された資本の活動に對して重壓を加えて來、また今なおそうしているが、それらの, 充分に意識している通りの、その他多くの、わざとらしい責苦の數々を附加えるという有樣, ていた數人の日本人に加えられた若干の不公正な行爲に對する復讐として、彼自身が、この事, らである。しかしこれらの人々, それにもかかわらずロドマ教は我々の日本到著以前に、皇帝の最愛の婦女たちの間にまで達, 重壓は自ずと増大してついには或種のパンカダを導入し、その後さらに日本における經驗者が, そしてさらにあの強國の全土に、信, は、人々がその比率を増大させないことを條件とすれ, じられないほどに弘まっていた。しかも、そのようになったにもかかわらず、日本人は、(マ, により)マコアに貿易しに行こうと考え, フツ力から來たカピテン・モールのアンドレ・ペッソア, し, 封のとき奧女中三人がキリシタンとして遠嶋に處せられたこと。, 〇一六一二年すなわち慶長十七年三月、岡本大八火刑、有馬晴信除, ○マカオのポルトガル駐屯軍司令官でノッサ・, セニョーラ・ダ・グラサ號nossa senhora da, モール。一六一〇年一月すなわち慶長十四年十二月長崎に來る。, graca俗稱マードレ・デ・デウス號madre de deusのカ。ピタン, ○ヤンセ, ン等。, オランダに, 迫を受けつ, ボルトガル, 人はなお壓, つあり, ッソア長崎, カルに次で, モール・ペ, もキリシタ, 柳營婦女に, 幕府パンカ, ン發覺す, に爆死す, ドをポルト, も適用す, カピタンュ, 一六三三年五月, 二四七

割注

  • 封のとき奧女中三人がキリシタンとして遠嶋に處せられたこと。
  • 〇一六一二年すなわち慶長十七年三月、岡本大八火刑、有馬晴信除
  • ○マカオのポルトガル駐屯軍司令官でノッサ・
  • セニョーラ・ダ・グラサ號nossa senhora da
  • モール。一六一〇年一月すなわち慶長十四年十二月長崎に來る。
  • graca俗稱マードレ・デ・デウス號madre de deusのカ。ピタン
  • ○ヤンセ
  • ン等。

頭注

  • オランダに
  • 迫を受けつ
  • ボルトガル
  • 人はなお壓
  • つあり
  • ッソア長崎
  • カルに次で
  • モール・ペ
  • もキリシタ
  • 柳營婦女に
  • 幕府パンカ
  • ン發覺す
  • に爆死す
  • ドをポルト
  • も適用す
  • カピタンュ

  • 一六三三年五月

ノンブル

  • 二四七

注記 (43)

  • 1135,568,72,2272である。しかし、ポルトガル人は日本貿易を續けたいので、これらの苦難を辛抱強く堪えなく
  • 1554,558,73,2283は、時のたつとともに我々の取引についてもポルトガル人のそれと同樣、次第次第に、外國か
  • 1662,556,71,2285ば、それがひとつの良い手段であるに違いない、と考える。ところが、敏捷な日本人の貪慾さ
  • 923,556,73,2264ず、それでもなお上記の責苦は決して減少せず、むしろ時とともに増大させられたのである。
  • 1031,567,68,2272てはならない。しかも、この人々は凡ゆる友情と好意をかち得る知慧を有したにもかかわら
  • 1450,561,70,2273ら日本に齎された資本の活動に對して重壓を加えて來、また今なおそうしているが、それらの
  • 1239,560,73,2286充分に意識している通りの、その他多くの、わざとらしい責苦の數々を附加えるという有樣
  • 293,578,72,2271ていた數人の日本人に加えられた若干の不公正な行爲に對する復讐として、彼自身が、この事
  • 1767,561,54,746らである。しかしこれらの人々
  • 818,560,73,2292それにもかかわらずロドマ教は我々の日本到著以前に、皇帝の最愛の婦女たちの間にまで達
  • 1344,555,74,2293重壓は自ずと増大してついには或種のパンカダを導入し、その後さらに日本における經驗者が
  • 730,1985,55,863そしてさらにあの強國の全土に、信
  • 1778,1540,60,1301は、人々がその比率を増大させないことを條件とすれ
  • 611,577,69,2262じられないほどに弘まっていた。しかも、そのようになったにもかかわらず、日本人は、(マ
  • 411,1872,57,983により)マコアに貿易しに行こうと考え
  • 506,582,62,1365フツ力から來たカピテン・モールのアンドレ・ペッソア
  • 709,572,67,58
  • 695,631,55,1226封のとき奧女中三人がキリシタンとして遠嶋に處せられたこと。
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  • 379,582,53,1221モール。一六一〇年一月すなわち慶長十四年十二月長崎に來る。
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