『大日本史料』 1編 1 仁和 3年 8月~寛平3年12月 p.332

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られす、商舶往來なるゆへなとゝ云はるゝけれとも、何れにしても實に入, 唐あらは、受法誰に從てありしや、安然の筆記、並に傳記に其事實見へす、胎, 藏對受記の祕に云、安然以貞觀十八年二月入唐事とあり、天下無所不至の, 本朝國史の中、三代實録三十, た不分明なり、中古の鈔に其説あれとも、的據としかたし、官船にて入唐せ, 安然入唐の事實、甚, 文云、安然縁入唐、即日受之、連文云、貞觀十九年三月廿二日授安然とあり、, 瑜祇の疏を作る等の妄説、何そかくみたりなるや, と見へたり、息心鈔云、智證大師皈朝時、西, 深有恨色、起座之後、謂門人云、此師未曉空觀、若心殿不拂掃、何得三尊之加持、, 一聖一和尚弟子岩松禪師云、五大院者、入唐ノ於大唐大悟發明有ケリ號學, ム、云、此事依何説耶、不審々々、五大院前代也、覺阿上人近代也、, 塔齊詮和上有入唐之志、爲問大唐風儀、兼習漢語、參入彼室、大師默然無對、詮, 若加持不至、何踰萬里之險浪、其後濟詮不著唐岸、又不知所至と、此等の説を, 此相違如何、, 瑜灌は、五大院入唐して初めて之を傳へ、殊に, 〔自在金剛集〕, 阿上人ト人是也、歸朝之後者、山門西坂本松崎ニ住給〓リ, 〔自在金剛集〕〓那業學則瑜灌は、五大院入唐して初めて之を傳へ、殊に, 云々、, ○承安, 元年入, ○中, ○中, 遮那業學則, 略, 略, ヘリ, 入唐セズ, トノ説, 寛平二年正月十九日, 三三二

割注

  • ○承安
  • 元年入
  • ○中
  • 遮那業學則
  • ヘリ

頭注

  • 入唐セズ
  • トノ説

  • 寛平二年正月十九日

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  • 三三二

注記 (32)

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