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谷寺縁起の同八年二月十日の時の位署は違ひありて合はす、其は此縁起, 縁起の末署に、俗別當遣唐大使中納言從三位兼行左大辨春宮權大夫侍從, 中納言兼右近衞大將從三位行春宮大夫藤原朝臣時平, 谷雄傳宣、中納言兼右近衞大將從三位行春宮大夫藤原朝臣時平宣云々と, 仰稱、遣唐副使從五位上守右少辨兼行式部少輔文章博士讚岐介紀朝臣長, を併考ふるに、大安寺縁起なる寛平七年八月五日の時の位署は合ひ、此長, あり、此長谷寺縁起に、望村忌寸の位の外字なし、此主の敍任いまた考得さ, と記せり、右四人の名署は、此縁起文に題せる前年、寛平七年八月五日、大安, 寺縁起の文末に、外從五位下行左大史兼春宮大屬壬生望村、去七月十七日, れは辨ふへき由なし, 菅原朝臣とあり、菅家御傳記、公卿補任、そのほか古記ともに見えたる御傳, に春宮大夫式部大輔と書たれと、此公、春宮大夫に任され給へる事はあら, 執筆遣唐大使中納言從三位兼行左大辨春宮大夫式部大輔侍從菅原道眞, を考ふるに、二縁起記せる年月日の時に合へるを、道眞公の名署は、大安寺, 長谷雄朝臣、時平公の官位、大安寺縁起なると全同し、公卿補任等, 寛平七年八月五日, 但し御産部類記に、新國史を引て、寛平五年四月二日、, スたり、, 如故と見, 右大吏從六位下壬生忌寸望村を春宮大屬とし、本官, 寛平七年八月五日, 二五四
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- 但し御産部類記に、新國史を引て、寛平五年四月二日、
- スたり、
- 如故と見
- 右大吏從六位下壬生忌寸望村を春宮大屬とし、本官
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- 寛平七年八月五日
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- 二五四
注記 (22)
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