『大日本史料』 1編 3 延喜元年11月~8年雑載 p.192

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

れ、所々申侍へし、, 問のこうをこそつみ給へは、弓の本末も知給はしとおもひて、心みに御弓, しに、相公思食けるやう、文は朝家のたから、衆生の燈也、子なりとも、此君に, も、書せ給ひたりける序の文こそ、天台宗第一の寶にて侍るとそ申傳へた, とそかゝせ給けれ、, れば、天神は、御年廿一二にて、官位もいまた淺く、文章生にてたはしたれと, ひたりけれは、人々思ひけるは、此君は、戸ほそをとち、しきみを出すして、學, 途覆車而未皈、晩進指南而必達、乃至殊恨保執者、自謂除非小律儀、更無大, 二そかゝせ奉らめと覺して、かくと申給ひけれは、貞觀八年十一月の事な, 我本朝、馳神眞際、求法道邦、先請業者偏執律儀、後研精者更傳圓戒、猶如前, 貞觀十二年の事にもや、春の頃、都良香の家に、人々弓射ける所へ行あひ玉, 乘戒、遂毀梵網宗以爲沙彌宗、貶三聚教以爲非僧教、悲哉、知其一而未知其, 射させ給てんやと申玉ひけれは、弓場に立出て、弓に矢をさしはけて、引わ, て、くひに懸て菅相公のもとへおはして、此文の序書玉ひなむやとの玉ひ, 二、乃至我大師圓仁、博窺三權之膏育、新増一實之脂粉、, 延喜三年二月二十五日, 射ヲ善ク, ス, 延喜三年二月二十五日, 一九二

頭注

  • 射ヲ善ク

  • 延喜三年二月二十五日

ノンブル

  • 一九二

注記 (20)

  • 1255,642,62,494れ、所々申侍へし、
  • 281,620,88,2221問のこうをこそつみ給へは、弓の本末も知給はしとおもひて、心みに御弓
  • 1691,650,99,2208しに、相公思食けるやう、文は朝家のたから、衆生の燈也、子なりとも、此君に
  • 1340,642,94,2216も、書せ給ひたりける序の文こそ、天台宗第一の寶にて侍るとそ申傳へた
  • 665,639,57,557とそかゝせ給けれ、
  • 1458,642,94,2216れば、天神は、御年廿一二にて、官位もいまた淺く、文章生にてたはしたれと
  • 398,633,85,2208ひたりけれは、人々思ひけるは、此君は、戸ほそをとち、しきみを出すして、學
  • 984,698,97,2155途覆車而未皈、晩進指南而必達、乃至殊恨保執者、自謂除非小律儀、更無大
  • 1573,647,94,2219二そかゝせ奉らめと覺して、かくと申給ひけれは、貞觀八年十一月の事な
  • 1102,711,92,2147我本朝、馳神眞際、求法道邦、先請業者偏執律儀、後研精者更傳圓戒、猶如前
  • 514,629,92,2211貞觀十二年の事にもや、春の頃、都良香の家に、人々弓射ける所へ行あひ玉
  • 863,703,97,2149乘戒、遂毀梵網宗以爲沙彌宗、貶三聚教以爲非僧教、悲哉、知其一而未知其
  • 169,622,85,2211射させ給てんやと申玉ひけれは、弓場に立出て、弓に矢をさしはけて、引わ
  • 1809,653,99,2207て、くひに懸て菅相公のもとへおはして、此文の序書玉ひなむやとの玉ひ
  • 759,698,82,1586二、乃至我大師圓仁、博窺三權之膏育、新増一實之脂粉、
  • 1961,743,47,430延喜三年二月二十五日
  • 335,264,43,168射ヲ善ク
  • 296,268,35,30
  • 1961,743,47,429延喜三年二月二十五日
  • 1927,2477,44,109一九二

類似アイテム