『大日本史料』 1編 3 延喜元年11月~8年雑載 p.253

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るし、, いふことをおもはざるか, 惣て僧徒の僞を傳ふること、識者のあざけ, や、其寺は大刹なるが、かゝることを説は、他の寶物も贋物の疑ひを生ずと, 昔無準和尚、徑山に住し給ける時、北野天滿天神、ある夜半ばかりに、日本の, 作り給ふよしなり、其像雲上に忿怒ましますさまなり、可笑、此期に臨み、い, づれの所に材をもとめ、いづれの所に彫刻し給ふや、雲中より投下し給ふ, は、永正二年六月十九日の薨去, りをうくるが、いたむべきものなり、縁記など見きく間に、脊に汗出るもの, 其縁記は、天拜山に登り天帝に祈請し、〓に上天まします時に、水鏡を見て, 春村曰、こゝに政家とあるは何人ぞも、もし近衞關白政家公ならんに, 或寺の開扉に、水鏡の天神の像あり、御自作の由をいふ、, 尠からず、, がひもあらじか、琳賢が事は、なほ東大寺大佛殿縁起の處にいふべし、, なれば、琳賢より時代はるかにふ, 躬行曰、琳賢は、東大寺繪所日記によるに、時代政家公とさばかりのた, 〔兩聖記〕右大將長親卿, 〔閑田耕筆〕, 右大將長親卿, 〔兩聖記〕, 六十, 歳、, ○中, 人部, 略, 二, 北野天神, 入宋シテ, 水鏡天神, ノ像, 渡唐天神, ノ像, 衣ヲ僧無, 延喜三年二月二十五日, 二五三

割注

  • 六十
  • 歳、
  • ○中
  • 人部

頭注

  • 北野天神
  • 入宋シテ
  • 水鏡天神
  • ノ像
  • 渡唐天神
  • 衣ヲ僧無

  • 延喜三年二月二十五日

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  • 二五三

注記 (35)

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