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師般若寺の草菴に寓す, 己卯、貞觀元年、尊師, の所在を示す、一童子の曰彼所は不淨なり、用へからす、師此童を見るに、眼, 漆を點するか如く、その光外を射る、法器たるを知りて試にいふ、法に淨穢, 尊師、此時沙彌島に於て一宇を建、葢母氏の追福なり、, なし、何そ清濁をろせん、此童笑て曰、若淨不を簡せすんは、何そたなそこを, 尊師の人となりに服して是を與ふ、觀賢僧正といふ是也, 行實記曰、師錫を振ふて四國へ赴き、高祖大師の遺跡及ひ諸梵刹を禮す、一, 日讚別に於て、數童の嬉戯するを見、盥手せんとて水の所在を問ふ、數童水, 洗ふや、師その卓識を感し、父母の家に至り、法嗣とせん事を求む、父母も亦, 仁淵若と島事, 和朝寺す縁諸, 恭畏血脈抄に、或, 氏師を産する後、彼地, にて亡するや、不詳、, 貞觀は清和帝の年號、清和帝は, 抄を引てくわし, 生年二, 文徳帝第二皇子惟仁親王是也、, されは不取之、, くいヘと、慥なら, 〓の事諸書にみえす、, 十八, 沙彌島縁起にみゆ、母, の二字寫誤ある歟、恭畏か血脈抄に、或抄を引て、一き, 僧正傳曰、遂問訊父母家、誘引歸般若寺菴、此時は堂, 或説、普明寺とす、眞俗雜記般若寺とす、可證、般若寺, わくわしけれと、或抄とはかりにて、慥ならされは略之、, 宇も嚴ならす、唯尊師安居の草菴なり、後延喜年中、大江玉淵朝臣、觀賢僧正, を歸依して堂宇を建立し、永く般若寺と號す、其故址在於仁和寺之四、福王, 宇ヲ建立, 彌島ニ堂, 四國ヲ巡, ノ爲メ沙, 母ノ追福, 禮ス, 觀賢ヲ弟, 草菴ニ寓, 般若等ノ, 子トス, ス, ス, 延喜九年七月六日, 一四二
割注
- 恭畏血脈抄に、或
- 氏師を産する後、彼地
- にて亡するや、不詳、
- 貞觀は清和帝の年號、清和帝は
- 抄を引てくわし
- 生年二
- 文徳帝第二皇子惟仁親王是也、
- されは不取之、
- くいヘと、慥なら
- 〓の事諸書にみえす、
- 十八
- 沙彌島縁起にみゆ、母
- の二字寫誤ある歟、恭畏か血脈抄に、或抄を引て、一き
- 僧正傳曰、遂問訊父母家、誘引歸般若寺菴、此時は堂
- 或説、普明寺とす、眞俗雜記般若寺とす、可證、般若寺
- わくわしけれと、或抄とはかりにて、慥ならされは略之、
- 宇も嚴ならす、唯尊師安居の草菴なり、後延喜年中、大江玉淵朝臣、觀賢僧正
- を歸依して堂宇を建立し、永く般若寺と號す、其故址在於仁和寺之四、福王
頭注
- 宇ヲ建立
- 彌島ニ堂
- 四國ヲ巡
- ノ爲メ沙
- 母ノ追福
- 禮ス
- 觀賢ヲ弟
- 草菴ニ寓
- 般若等ノ
- 子トス
- ス
柱
- 延喜九年七月六日
ノンブル
- 一四二
注記 (44)
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