『大日本史料』 1編 7 承平 6年正月~天慶4年8月 p.878

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云し遊女すめりと見えたり、, はしめ筑前の守なりしに、程もなく此國に來りて、ふたゝひあひみつる, 邊にあり、檜垣か、心はせすみかとならは君はさはこゝより外に行とこ, り、家集に、清原元輔、肥後の任はてゝ京にのほりしとき、首途の所に呼て、, とあり、或は怡土郡にものいひし府官か事を思ひ出て、歌を讀し事見へ, とは彼遊女か名なり、はしめ筑前にすみ、後肥後に來りしと云説は是な, なり、又檜垣か、音にきくつゝみのたきをうち見れはたゝ山川のなるに, 今按るに、太宰府に假に檜垣しつらひて住故に名とすとは非なり、檜垣, ろあらし、とよみしなり、寺あり、泊瀬山長谷寺といふ、檜垣か、我黒かみも, 白川とよみしほとりに、九品山蓮臺寺といふ梵刹あり、其地内に檜垣か, しへの白拍子、今一ふしと望しかは、辭するかたなくして舞けり、, たり、肥後飽田郡白川の邊、古は府中にて、淫肆もありて、檜垣、いなりなと, 墓あり、石塔文字あれとも消て見えす、又檜垣か水を汲て詣し、岩殿山觀, 後に住し長谷といふ所、右の, も同郡にあり、此所に檜垣征、山下庵、薫櫻あり、皆遊女か舊跡, そ有ける、とよめる鼓瀧も、雲巖寺の背のかたにあり、又藤原興範は、三代, 世音, いなりの事、家, 集に見えたり, 寶華山, 雲巖寺, 檜垣〓, 山下庵, 初メ肥後, ミ後長谷, 白川ニ住, 薫櫻, 檜垣ノ慕, ニ移ル, 皷瀧, 天慶四年五月二十日, 八七八

割注

  • いなりの事、家
  • 集に見えたり
  • 寶華山
  • 雲巖寺

頭注

  • 檜垣〓
  • 山下庵
  • 初メ肥後
  • ミ後長谷
  • 白川ニ住
  • 薫櫻
  • 檜垣ノ慕
  • ニ移ル
  • 皷瀧

  • 天慶四年五月二十日

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  • 八七八

注記 (32)

  • 976,725,63,847云し遊女すめりと見えたり、
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