『大日本史料』 1編 22 寛和元年正月~3月 p.300

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をつくさむとて、惠心院といふ御寺をつくらせ給へり、, りしに、金のたらさる事三十二兩なりしに、陸奧の守爲長といふ人よりいひおこせけ, くりける、塔婆不足のかねのかすにすこしも増減なかりしこそ、いと不思議なりとて、, とへに師の法驗によれり、しかれは我一院を山楹の月にかまへ、餘慶を家門の風に扇, るは、近曾より、この國の國分寺といふ寺に金泥の大般若經のありしを、ぬす人とり, 出し、野原にもて行て經を燒、泥の黄金三十二兩ありしを取かへし侍る、畢竟空の文, かん、ねかはくは子々孫々久しく帝王・后皇の基をつたへ、生々世々なかく遺弟の道, 畢空に歸すといへとも、かねは殘り侍る、いかなる功徳の事にもせさせたまへとてを, 永觀二年、師寶瞳院をあらためつくり、塔婆を立給ふ、露盤・風鐸こかねをもてかさ, 圓融院の御時、宮中にして五壇の御修法をこなはせ給ふ、廣澤の僧正寛朝は降三世の, 法を修し、師は中壇の阿闍梨にて、不動明王の法をこなはせたまふ、上一朝御修法に, みな人〓をとしてける、, 略ス、, 略ス、, 略ス、, ○繪, ○繪, 略ス、, 寛和元年正月三日, 三〇〇

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  • 略ス、
  • ○繪

  • 寛和元年正月三日

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  • 三〇〇

注記 (20)

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