『大日本史料』 2編 7 寛弘8年7月~長和2年10月 p.868

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按察の御息所おとこ九の、宮うまれ給、, つりて、かしつきゝこえ給ほとに、さるへき人〳〵をとつれきこえ給人お, しましたりけるを、いとみすてかたうおほしけれと、世中はかなかりけれ, るを、粟田殿きこしめして、このみやをむかへたてまつりて、こにしたてま, てまつり給つ、, 是也、明王院御室同胞弟也、永觀二年、出家入道、投權僧正智辨受業、寛弘五年、, も〳〵おとらしまけしと、みなたゝならすおはして、御子たちいとあまた, 從權僧正智觀、受三部大法職位、長和二年六月薨、, 條殿の御子、入道の少將、多武峯の君ときこえし、わらはなはまちをさとき, こえしか御むすめにすみ給へりける、いとうつくしきのめみやいておは, 九宮は九, は、おほしすてゝけるなりけり、このひめきみいみしうゝつくしうおはす, まにや、村上の先帝の九の宮入道して石藏にそおはします、, いてきあつまり給ぬ、按察のみやすところおとこ三の。宮、女三の宮うみた, はかりけれと、きゝいれたまはぬほとに、故三條の大殿の權中將せちにき, 〓の宴はかなくてとしつきもすきて、この御かた〳〵われ, 〔榮華物語〕, 〔榮華物語〕〓はてめのめかくてあはた殿の北方のしたしき側ありさ, 〔榮華物語〕, てぬゆめかくてあはた殿の北方のしたしき御ありさ, 長和二年六月二十八日, ○中, ○中, 略, 略, 月一, の宴, 御母, ヲ養ヒテ, 道兼王女, 子ト爲ス, 室, 長和二年六月二十八日, 八六八

割注

  • ○中
  • 月一
  • の宴

頭注

  • 御母
  • ヲ養ヒテ
  • 道兼王女
  • 子ト爲ス

  • 長和二年六月二十八日

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  • 八六八

注記 (34)

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