『大日本史料』 2編 25 万寿4年11月~12月 p.81

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ち、わか御まゝにておはしましゝに、又當代の九歳にてくらゐにつかせ給にしかは、御, はしますなめり、さき〳〵の殿はらのきんたちおはせしかとも、みなかくしもおもふさ, しか、このきたのまんところの二人なから源氏におはしませは、すゑのよの源氏のさか, かたまたよになき事なり、大臣の御女三人きさきにてさしならへたてまつり給事、この, とし五十一にて攝政せさせ給とし、わか御身は太政大臣にならせ給て、攝政をはおとゝ, にゆつりたてまつらせ給て、御とし五十四にならせ給に、寛仁三年己未三月廿一日御出, たゝし殿の御まへは卅より關白せさせたまひて、一条院・三条院の御時、よをまつりこ, ておはします、よをたもたせ給こと、かくて三十一年はかりにやならせ給ぬらん、こと, 家し給へれと、猶又おなしき五月八日、准三宮のくらゐにならせたまひて、年官・年爵, まにやはおはせし、をのつからおとこも女もよきあしきましりてこそおはしまさふめり, のゝち、御賀あるへしとそ人まう, えたまふへきとさため申なり、かゝれは、このふたところの御ありさまかくのことし、, 〓かにまたさま〳〵おはしまさへて、めてたくはへらんすらん、おほ, しは滿六十におはしませは、かんの殿の御産, えさせ給、みかと・東宮の御祖父、三后・關白左大臣・内大臣・あまたの納言の御父に, す、, 倫子高松, ○二年八月一、, ○道長ノ六十賀ヲ行, 日ノ條參看, フコト、詳ナラズ、, 六十賀ヲ行, 至二人共二, 源氏ノ出ナ, フ豫定, 萬壽四年十二月四日, 八一

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  • ○二年八月一、
  • ○道長ノ六十賀ヲ行
  • 日ノ條參看
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  • 六十賀ヲ行
  • 至二人共二
  • 源氏ノ出ナ
  • フ豫定

  • 萬壽四年十二月四日

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  • 八一

注記 (27)

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